日中戦争の裏側で、むしろ本当の「戦争」だったと言っても過言ではないインテリジェンスの戦い。最終的に大差をつけて勝利した共産党のインテリジェンスとは、いかほどのものだったのだろうか。インテリジェンス・ヒストリー(情報史学)に詳しい山内智恵子氏が、ユ教授の「日中戦争」論をもとに、日本やアメリカがインテリジェンスで敗北した理由を解説します。
アメリカ人の無知を利用した中国共産党
日本は蔣介石率いる中国と、インテリジェンス、対米外交の戦いで敗北し、その蔣介石も中国共産党にインテリジェンスで敗北しました。そして、アメリカもまた、中国共産党にインテリジェンスで手酷く負けたのです。次のように、中国共産党が一番上手でした。
日本 < 蔣介石率いる中国国民党 < アメリカ < 中国共産党
そもそもアメリカのOSS(戦略情報局)は、中国国民党と中国共産党の諜報戦が、どれほど熾烈なものかをほとんどわかっていませんでしたし、中国共産党の情報機関についてもろくに知りませんでした。
たとえば、1945年6月にOSSのSI部門がまとめた「延安インテリジェンス概要」には、中国共産党員の非常に網羅的な人物調査が含まれているのですが、中国共産党の情報機関の統括者である康生については、単に「理知的」と記述しているだけ、汪精衛政権に深く食い込んで情報工作を行った潘漢年のことは「南京で日本人と汪精衛政権とのあいだで行われた秘密会議に出席した中国共産党代表」と一応は書いてあるものの、「国民党がそう主張しているにすぎない」としていました。
中国共産党は、自分たちと国民党との激しい諜報戦に関するアメリカ人の無知を存分に利用して、中国駐在のOSSに浸透しました。ユ教授の『中国のOSS』では2つの例を挙げています。
1つは、中国駐在OSSの副部長が秘書と逢い引きをするため、周恩来と康生のトップスパイである閻宝航に、重慶郊外の静かな家を世話してもらったことです。
副部長はその礼として、閻が推薦する者たちを雲南省開遠のOSSのパラシュート訓練校に入学させました。周恩来は閻宝航に中国共産党のエージェントを推薦するよう命じたので、その結果、国民党の3つのパラシュート連隊のうちの1つが、劇的な「反乱」を起こし、1949年、いともたやすく毛沢東に乗っ取られることになります。
もう1つは、中国共産党が大勢の工作員をタイピストや通訳として、特に雲南省や上海地区で、OSSやOWI(戦時情報局)、その他のアメリカ情報機関に潜入させたことです。近年、中国で公開された文書や史料により、彼らがアメリカの文書を盗んだり、共産党の秘密活動を行ったり、アメリカの情報機関に偽情報を与えたりしたことが明らかになっています。
マーシャルミッションのためにジョージ・マーシャルが中国に滞在していたとき、アメリカの情報機関では中国共産党の工作員が盛んに暗躍しており、中国共産党に好都合な情報や文書を、上海の米心理戦部を通じてホワイトハウスに届けることさえやってのけました。彼らは、アメリカの政策決定者たちを首尾よく操作することができたのです。
インテリジェンスは中国共産党の一人勝ちだった
中国大陸ではアメリカの情報機関同士が争ったが、政治的あるいはイデオロギー的な争いというよりも、性格や自尊心や縄張りと指揮権を巡るぶつかり合いだった、その結果勝ったのはスティルウェルでもマーシャル(陸軍)でもなく、マイルズ(海軍)でもなく、OSSでもなく、国民党でもなく、静かな浸透工作が凄まじい効果を上げた中国共産党の一人勝ちだった、とマイルズ・マオチュン・ユ教授は総括しています。
ジョゼフ・スティルウェル司令部の政治顧問、ジョン・デイヴィスらが自分たちの政治的目的のために中国共産党に接近し、国民党や中国共産党について、歪めた、偏った情報をアメリカ本国に報告していました。
デイヴィスらもOSSも重慶の米軍司令部も、中国共産党軍が日本軍と激闘しているという偽情報を、終戦間際になるまで嘘と見抜くことができませんでした。自分たちが中国共産党の工作のターゲットになっていたことを、スティルウェルやデイヴィスらや在中国OSSが自覚していたとは思えません。
マーシャルミッションに際してアメリカ政府は、国民党と中国共産党を和解させて連合政府を作らせる、という全く不可能な目標を掲げて、国共内戦の重要な時期に国民党の手足を縛ってしまいました。国共連合政府が可能だとアメリカ政府が信じ込んだのは、デイヴィスらがまんまと中国共産党の工作にやられて、中国共産党や国民党について実態と異なる報告を上げ続けたことが原因の1つです。
ユ教授は『中国のOSS』の前書きで、中国のインテリジェンス関係の資料公開について述べています。第二次世界大戦中に活躍した中国共産党のインテリジェンス関係者のほとんどが、戦後、毛沢東によって粛清されましたが、1980年代、鄧小平政権時代に名誉回復が行われ、彼らの回顧録や資料が出版されました。
ユ教授によれば、粛清の理由は2つあります。
第1に、中共に勝利をもたらしたのはインテリジェンスと政治的浸透工作の成果が大きかったのですが、毛沢東の「人民の戦争」という軍事哲学の巧緻さと思想的正しさによって勝利したのだと強調するために、インテリジェンスの貢献が言及されないよう押さえつけるためでした。
第2に、毛沢東は延安で1930年代から1940年代初期にかけて、「整風」(党内の反対派への徹底的弾圧)を行ったのですが、ほとんどのインテリジェンス関係者はその頃は現場で情報工作に従事していたために、毛沢東による粛清を免れていました。だから毛沢東は戦後、ソ連との結びつきの強いインテリジェンス関係者を一掃したということです。
ユ教授は、師哲や陳幹笙など、ベテランの中共情報機関員の記録や回顧録を幅広く読んで、中国におけるアメリカのインテリジェンスの敗北を分析しています。
自国の政策の失敗を歴史から学ぶアメリカの姿勢は大いに見習いたいものです。
※本記事は、山内智恵子:著、江崎道朗:監修『インテリジェンスで読む日中戦争 -The Second Sino-Japanese War from the Perspective of Intelligence-』(ワニブックス:刊)より一部を抜粋編集したものです。