足立区鹿浜。「陸の孤島」とも揶揄される、へんぴな場所にもかかわらず、行列が絶えない焼き肉の名店・スタミナ苑。「総理大臣も並んだ」「開店2時間前から行列ができる」という名店はいかにして生まれたのか。

右手に障害を抱えながらも、圧倒的なうまさのホルモンを武器に、スタミナ苑を一流店に育てた店主・豊島雅信が口にする言葉はどれもが力強く、印象的だった。

※本記事は、豊島雅信:著『行列日本一スタミナ苑の繁盛哲学 -うまいだけじゃない、売れ続けるための仕事の流儀-』(ワニブックス:刊)より一部を抜粋編集したものです。

恨み言ばかり言ってても仕方ない

15歳からスタミナ苑で働き始めた。実家が肉屋で、おふくろと兄貴がこの焼き肉屋もやっていたから、そこに転がり込む形で働き始めたんだ。本当はもっと派手でオシャレな仕事に就きたかったけど、他に働き口がなくて仕方なくといったところだね。

僕はさ、右手にハンデを背負っている。2歳の頃、実家にあった精肉機に、興味半分で手を突っ込んで、指を2本失ってしまった。その時の記憶は全くないけど、泣き叫ぶ僕の声を聞いた親が、慌てて手を引っこ抜いて病院に連れていってくれたって聞いた。

▲小学校入学前。右手には包帯が見える(本人提供)

この右手のおかげで随分つらい思いもした。今振り返ると僕の人生は苦労の連続だったよ。小さいうちはからかわれたり、就職試験に落とされたりもした。やさぐれた時期もあった。

でも僕は「なにくそ! 負けてたまるか!」って思ったね。

なんで俺ばかりこんな不幸な目にあうんだって神様を恨んだ。でも、恨み言ばかり言ってても仕方ないだろ。神様に感謝するとしたら、この前向きな性格をもらったことかな。どうせ生きていくなら徹底的に楽しんでやろうって思ったんだ。

もともとは右利きだったのかな。その時の自分のことなんて覚えてない。今はほとんどの作業を左手でやってる。

右手が不自由だから、上から吊られた肉が切れなかった。その時にまた、自分はこの世界でもみんなと同じことができないんだって気がついた。人と同じやり方ではできない、それは大きな壁だったね。

▲修業時代の一枚(本人提供)

普通の店は肉がブロックの状態で来ることが多い。それだったら毎日練習すれば、いつかは切れるようになるだろう。でも、うちみたいな肉屋は大きな枝肉が届く。それを腕と手で押さえて切る必要があるから、技術がいるし、難しいんだ。正肉は失敗すると高いから、あまり練習もできなかった。

自然と内臓(ホルモン)の担当になったという感じだね。

レバーの皮が剥けるようになるまでも大変だったよ。フジテレビの『ザ・ノンフィクション』って番組でも、そのシーンを撮影して放送していたようだけど、簡単そうにやっているように見えるらしいんだ。でも、これは両手があっても難しい作業だって言っておく。きれいに皮が剥けるようになるまでは、両手が使えるやつだって数年かかる。それを片手でやるんだから、その大変さがわかるだろ。