昔のお客はまだ温かい生レバーを食べていた 

昔のホルモンの仕入れってのが、また変わっていた。なんせ食肉処理場に肉屋が自分で取りに行くんだから。内臓がテーブルにズラーッと並んでて、おろしたてのレバーはまだビクビク動いて、湯気が立ってた。新鮮な肉と内臓が昔は簡単に手に入ったんだ。

それを店に持ち帰って、さばいてすぐに提供する。当時はランチ営業をしていたから、タクシー運転手が仕事明けに店に来て、仕入れたてのまだ温かいレバーを頬張ってたよ。

大らかな時代だったね。狂牛病以降は脳髄の検査があるから、勝手に立ち入ることはできなくなったんだけどさ。

ホルモンは闇市の時代からずっと続く伝統的な食材だ。昔は「放るもん=ホルモン」が語源って言われてるように、日本ではほとんど食べられることがなかった。でも、戦後は食料がないし、なんでも売られていた時代だった。食うもんがなかったら、食べるしかないだろう。

狂牛病以降、内臓は問屋を通さないと絶対に手に入らない仕組みになった。じつは牛の内臓って、なかなか手に入らないんだ。

それは供給量が決まっているから。ホルモンだけ欲しいと思ってもさ、牛をしめないと内臓は出てこないだろ。つまり正肉の供給量に左右されるから、簡単には手に入らないんだ。質のいいものならなおさらだね。付き合いのない新参者が欲しいといっても、まず分けてもらえない。

問屋の仕事はいいものを用意することだ。僕の仕事は、いいホルモンをお客に提供すること。そのためには長い年月をかけて築いた信頼関係が生きるんだ。

以前はホルモンをしめたその日に届けてくれたけど、今は狂牛病の検査があるから、翌日じゃないと届かない。

▲一度は食べてみてほしい(撮影:吉場正和)

夕方の5時に内臓が来る。その日のうちに仕込みをしないと、翌日の営業で新鮮な内臓をお客に提供することができないだろ。だから、僕は深夜に仕込みをするんだ。

例えば、今仕込んでいるホルモンは、新鮮だからきれいなピンク色をしている。これが時間が経つと、だんだんドドメ色になっていく。だから、すぐに処理しなくちゃいけない。

お客さんを入れる前は、別にやることがあるし、内臓の処理にはどれくらいの時間がかかるかわからない。

だから、僕は夜、営業が終わったあとにじっくりと仕込みをするんだ。


プロフィール
豊島 雅信(とよしま・まさのぶ)
1958年11月8日生まれ。 東京都出身。 兄の久博さんが母親と始めた 『スタミナ苑』 に15歳で加わり、肉修行がスタート。 以来、 ホルモン一筋50年! 毎晩、 閉店後の深夜から、 翌日に提供する肉とホルモンの仕込み作業を朝方まで続ける。予約が取れない名店として広く知られ、時の首相や著名人、食通が通いつめ並ぶほど。新鮮なホルモンと肉の病みつきになった焼き肉ファンが作る行列は、17時の開店2時間前から23時の閉店直前まで途切れることがない。1999年には、アメリカ生まれのグルメガイド 『ザガットサーベイ』 の日本版で、 総合1位を獲得。2018年には『食べログアワード2018ゴールド」受賞。