止まらないエロトーク

「いやあ、マジで柳田のおじき、カッコよかったすよ」

部屋住みで最年長のタケシ(34)がとっつぁんのグラスにビールを注ぎながら言った。普通、部屋住みといったら10代かせいぜい20代前半までの若いヤツがやるものだが、近頃はヤクザ全体の平均年齢が上がっていて、タケシくらいの年からヤクザになろうというヤツがいてもおかしくはないらしい。

ちなみにタケシはここに来る前は「ニート」だったと言っていたが、全然ニートには見えないですねと言ったらヤツはなぜか喜んでいた。アメリカでは「ニート(neat)」というのは、「さっぱりしてる」とか「小ぎれいな」という意味なのだが、日本ではそうじゃないということをあとで知った。

「いいか、タケシ、俺たちの商売はなあ、ナメられたら終わりなんだよ」

そう言うととっつぁんが、俺を見て意味ありげにニヤリと笑った。

「舐められていいのは、チンポコだけだ」

隣りのテーブルでモツ鍋をつついていた三人組の女が、露骨に嫌そうな表情を浮かべて俺ととっつぁんを横目で睨んだ。銭湯であんなにいいことを言ったあとに、なにもここでそんなことをと思ったが、それが柳田のとっつぁんなのだ。

「とみい、おめえ、なーに赤くなってんだ……あ、おまえ、ひょっとするとアレか」

「アレとはなんですか」

「バーカ、アレといえばアレに決まってんだろ」

とっつぁんが、左手の指で作った輪っかに右手の人差し指をスポスポさせた。

「まだやったことねえのか?」

「いやいや」部屋住みでいちばん若い、入学式当日に高校を退学したというシンジが、ニキビだらけの顔の前で手を振った。

「おじき、アレっすよ。アメリカ人なんか、もう中坊の頃からヤリまくりですよ。なあ、トミー……高校行き出したらもうカーセックスとか普通にヤってんだろ?」

シンジは俺より三つ年下だが、タメ口だ。1日でも早く組に入ったヤツのほうが偉いというのがこの世界の決まりなのだ。

そんなの当たり前だろとばかりに、「カンベンしてくださいよ」と鼻で笑ってみせたが、あんたらもお察しのとおり、俺はそのとき、まだ女を知らなかった。童貞のヤクザなんてのは、清純派のポルノ女優みたいなもんで、絶対にありえないことだと思っていた。アメリカを出る前になんとかしたいと思っていたのだが、そのチャンスがなかったのだ。

ここはなんとしても童貞バレしたくない。本気でそう思った。

「いいよなあ」部屋住みいちばんの古株で22歳のキクチがため息交じりに言った。「俺もアメリカで生まれたかったぜ。そしたら、トミーみたいにパツキン(金髪)とやり放題だもんなあ」

「俺が若い頃はよう」と柳田のとっつぁんが身を乗り出してきた。

「パツキンと言えばスエーデンだったな。なにしろフリーセックスの国だってんで、みんな挨拶代わりにセックスしてるんだと思っててよー、若者たちはみんなバックパック背負って夢の国スエーデンを目指したものよ……。これがホントのバックファッカー、なんちゃってな」

「でも、アレじゃないっすか」

シンジがとっつぁんのダジャレを完全にスルーして言った。

「トミーにしてみれば、アメリカじゃ周り全員パツキンだらけなわけだから……逆に黒髪の日本人のほうが魅力的なんじゃないですか……なあ?」

「そうですね」と言った瞬間、気がついた。そうだ、日本の女「とは」まだ経験がないと言っておけば嘘をついたことにはならない。とは言え、まあ、半分は嘘なわけだが。

「ニホンノ女性スバラシイト思イマース」

わざと英語なまりの日本語で答えると、柳田のとっつぁんが任せとけみたいな顔でうなずいて、いきなり隣りの席の例の三人組に話しかけた。

「ねえねえ、オネエサンたちさあ、ガイジンの男ってどう? 興味ある?」

マジでやめてくれと思ったが、彼女たちから返ってきたのは意外な反応だった。

――うーん、まあまあ興味あるけど、やっぱ人によるかなあ。

――アタシはけっこうイケる口だな。

――そりゃイケるっしょ。あんたの前のカレ氏、メキシコ人じゃん。

とっつぁんのひと言がきっかけで、けっこうワイワイと盛り上がっている。

「ねえねえ、オネエサンたち」

シンジが俺を指差して言った。

「コイツなんかどう?」

3歳も年下のガキのくせに俺をコイツ呼ばわりだ。

タートルネックなのにノースリーブという、暑いんだか寒いんだかよくわからない格好をした、いちばん年かさの女が「はいはい」と手を上げて言った。

「アタシ、金髪だけどそれでもよければ」

(なんだよ、こっちの話聞いてたんじゃねえか……)

「でもあれだろ、下のほうは黒なんだろ」と茶化したとっつぁんに、ノースリーブの女が下まぶたを指で下げてアッカンベーをした。

「残念でした。ハズレー」

「……てことは、アレか」

まあ、こっから先は口にするのもはばかられるような会話がしばらく飛び交ったわけだが、それにしてもヤクザというのは、ほんとに会話の半分以上がエロトークに費やされてるんじゃないかというくらい、女好きだ。

――結局、俺たちヤクザっていうのはよ。セックス・ドラッグ・ロックンロールじゃねえけど、でっかく稼いで、いい女抱いて、いいもん食って、いい酒飲んで、いいクルマ乗って、でっけえ家に住む。そのためにヤクザやってんだよ――。

あの名曲喫茶で初めて会ったときにヒロシが口にした、そんなセリフが脳裏に蘇ってきた。

その矢先だった。

連れから「ヨーコ」と呼ばれていた女が、くわえたタバコに火をつけながら、とっつぁんに聞いた。

「ところでさあ、お兄さんたちはどこの(組の)ヒトなわけ?」

とっつぁんが、声をひそめて言った。

「轟雷組って知ってるか……」

「ああ、ヒロシさんとこの」

「ヒロシ、知ってんのか」

「知ってるってほどじゃないけど」

そう言うとヨーコが「ねえ?」とほかの二人の顔を見た。

「このへんじゃちょっとした有名人だし」と三人のうちでいちばん美人の黒髪ロングが答えた。

「やっぱりそうか」キクチが言った。

「オネエサンたちプロのお水だよね? どこの店?」

「もしかして、ヒロシの店で働いてるとか?」と、とっつぁん。

「あら、お世辞だとしても嬉しいわ」

黒髪ロングがモデルみたいなポーズをとって、長いつけまつげをバサバサさせながら俺たちを見た。

とっつぁんの話によると「ヒロシの店」というのは、ヒロシがシノギの一つとして歌舞伎町で経営している高級クラブのことだった。

「なあ、とみい」とっつぁんが俺の肩に手を回して言った。

「おまえ、ヒロシにずいぶんと気に入られてんだろ。楽しみに待ってろ。そのうち連れてってもらえるよ」

「ヒロシさんの店もいいけど、うちのお店にも来てよねー」と言ってヨーコが腰をクネクネさせた。

しかし女たちの口から「ヒロシ」の名前が出たことで、とっつぁんはさておき、それまでやる気満々だった先輩たちのテンションが一気に下がった。下手なことをして、それがヒロシの耳にでも入ったらと考えたらうかつなことはできないからだ。

このあと、彼女たちの知り合いがやっているカラオケパブに一緒に行こうとかなり強引に誘われたが、俺たちは用事があると言って、とっつぁんを置いて店を出た。

金髪の女は冗談めかした口ぶりだったが、なかなかの好感触だった。もしかしたら今日が童貞を捨てるチャンスだったかもしれないのにまったく惜しいことをした。まあ、童貞だということがバレなかっただけでもよしとしよう……などと呑気(のんき)なことを考えながら家路についた俺だったが、まさかこの先に、この夜の出来事絡みのとんでもない事件が自分を待ち受けていようとは、そのときには知る由もなかった。