「おまえは何しにニッポンへ来たのか?」
20XX年の3月、俺は生まれ故郷のネブラスカを離れ、単身日本に向けて旅立った。
生まれて初めて乗る飛行機でオマハの空港を飛び立ってから、乗り換えも含めて17時間後、俺はついに憧れの国、ニッポンの土を踏んだ。
千葉にあるのに、なぜか新東京国際空港という名の空港のゲートを出て、都内行きのバスのチケット売り場を探していると、突然、30代半ばの日本人の男が「エクスキューズミー」と英語で話しかけてきた。
「おまえ(YOU)はなにしにニッポンへ来たのか――」
それがその男の第一声だった。俺は死ぬほど驚いた。この男はたぶん、日本の私服警察官だ。俺の来日目的を事前に察知して、俺がこの国でヤクザになることを阻止しようとしているに違いない。なんという情報収集力なんだ……。
驚きのあまりその場で棒立ちになっている俺に、男がもう一度聞いた。
「おまえはなにしにニッポンへ来たのか」
「…………」
すぐに言葉を返せずにいた俺に、男はそばにいた自分の連れのほうをいったん振り返りながら続けた。
我々はトーキョーのテレビ番組の制作スタッフで、自分はそのディレクターのオカジマである。空港の許可を得たうえでこうしてニッポンにやって来た外国人に来日目的を聞いているのだと説明した。たしかに、彼の後ろにはこちらに向かってビデオカメラを構えた男がいて、その横では髪を赤く染めた通訳らしき若い女が俺に向かって「ハーイ」と愛想笑いを浮かべていた。
なるほどそう言われてみればそんな風に見えなくもない。俺は頭の中で鳴り響いていた警報装置のスイッチをオフにすると、自分は任侠道を学ぶために来たと答えた。さすがにいきなりヤクザになるためですとは言えない。
「ニ……ニンキョー……ドー?」
きょとんとした表情を浮かべているオカジマにカメラマンが助け舟を出した。
「ニンテンドーのことじゃね?」
「ノーノー」俺は首を横に振ってもう一度声を張った。
「ニンキョードー!」
「ニンテンドー?」
「ノー! ニンキョードー」
そのやりとりを見ていたスタッフの若い女が流暢(りゅうちょう)な英語で俺に言った。
「私、生粋(きっすい)の日本人だけど、ニンキョードー……? 残念だけどいままでそんな言葉聞いたことないのよねえ……。それってもしかしてニンジャのことじゃない? ニンジャドーみたいな?」
「ノーノー、ニンキョードー! ザ・ウェイ・オブ・ヤクザ! ゴクドー!」
俺は、通訳の女に、自分は立派なヤクザになるために日本に来たのだと説明した。
「やだっ」女が素頓狂(すっとんきょう)な声を上げてオカジマに言った。
「この人、マジでヤクザになりたいとか言ってるし。ちょっと、ヤバい系の人かもしれないですよ」
その横でボソリとカメラマンがつぶやいた。
「ていうか、放送禁止案件かも」
「だよな」オカジマは俺に向かって引きつり気味の笑みを浮かべると、早口で「ご協力ありがとうございました」と言い残し、スタッフを引き連れてあっという間にその場からいなくなった。
わけのわからないテレビクルーのおかげで乗れるはずだったバスを逃してしまったものの、俺は無事、新宿行きのリムジンバスに乗ることができた。
空港到着から約1時間半後には俺を乗せたバスは東京都内に入っていた。
いつの間にか日は西に沈み、街にはゆっくりと夜の帳(とばり)が下りようとしていた。車窓から見えるトーキョーは光に溢あふれ、俺が夢に思い描いていたのよりさらに何倍、いや何十倍も凄い大都会だった。あと何年先になるかわからないが、俺はこの街、いやこの国で誰にも引けを取らない本物のヤクザになる――。
そのためにはどんな苦労や困難も乗り越えてやる。濃紺の空の下、無数のビル群からそそり立つ東京タワーを眺めながら、俺はあらためて心にそう誓った。
新宿到着後、俺はネットで予約しておいたカブキチョー(歌舞伎町)のはずれのとある安ホテルにチェックインした。そこがしばしの活動拠点となるわけだ。なぜ歌舞伎町かというと、そこが東洋一の歓楽街であり、ヤクザのメッカと言われている場所だったからだ。それになにより俺は歌舞伎町には土地カンがあった。またヘンなことを言い出したと思うかもしれないが、まあ、聞いてくれ。
あんたらは「YAKUZA―KIZUNA」というタイトルのゲームソフトがあるのを知っているだろうか。日本で大ヒットした「虎が如(ごと)く」のアメリカバージョンなんだが、そのゲームの舞台としてこの歌舞伎町が使われていたんだ(ほかにもじつに多くのヤクザ映画がこの地で撮影されている)。
ヤクザ映画はもちろんだが、PCオタクだった俺はそのゲームにも当然ハマった。最後はもう、半分目ェつぶっててもできるくらいにだ。だから、俺は日本に行かずして、歌舞伎町の地図ならバッティングセンターから、ボウリング場、キャバクラにたこ焼き屋、マンガ喫茶のある場所まで、だいたい頭の中に入っていたのだ。
荷解(にほど)きしたら早々に外出してリアルな歌舞伎町の様子をこの目で見たかったが、そこはぐっとこらえて、明日からの就職活動に備えて早めにベッドに入り旅の疲れを癒やすことにした。