ヤクザはとにかく生きにくい

轟雷組の部屋住みとなって丸1ヶ月が経ち、組長から初めてのサラリーをもらった。それを「サラリー」と呼べるのなら、だが。

最初に聞かされてはいたが、その額は小遣い以下……そう、ネブラスカでヤスオの子守をしていたときのほうがはるかにマシなくらい安かった。マジでなにかやってカネを稼がないと、ほんとにヤバい――。そう思わせるように、あえて十分なカネを渡さないのだという理屈もわからないではないが、日給に換算したらやっとビッグマックが1個買える程度と言えば、そのヤバさがおわかりいただけるだろう。

――ヤクザが出世するには二つの道しかない。

ヒロシが言っていたことだ。要するに、カネを使うか時間を使うかってことだ。

ヤクザの社会には、あんたらも知ってると思うが、アメリカのマフィアと同じように「上納金」というシステムがある。

ある組に属していたら、そこの親分に上納金という名の一定のフランチャイズ料金、いわゆるロイヤリティを払わなければならない。そしてその親分も、彼が所属する上部組織の親分に上納金を納める義務がある。さらにその親分もそのまた上部組織の親分に……。こういう、ネズミ講のような仕組みになっているので、フランチャイズの本家(フランチャイザー)の親分には莫大(ばくだい)な上納金が集まってくる。

つまり、フランチャイズのトップに立たない限り、ヤクザをやっている以上は上納金から逃れられない、つまりカネを稼ぎ続けなければならない。しかし、ただ上納金を払ってるだけでは出世はできない。

ここでモノを言うのがカネである。たくさん稼いできて、決められた上納金以上のカネを親分に運んでくるヤツが出世する。まあ、これは普通の会社でもそうだろう。成績のいい社員、つまり会社により多くの利益をもたらした人間が偉くなっていくのは当たり前と言えば当たり前だ。

実際、ヒロシが20代の若さで大勢の先輩たちを差し置いて轟雷組の若頭補佐、つまりナンバー3に抜擢されたのもひと言でいえばカネの力だ。じゃあ、カネを稼ぐ能力がないヤツが出世するにはどうすればいいかというと、カラダを張るのである。

その典型的なのがいわゆる「鉄砲玉」ってヤツだ。敵対勢力の特定の人物の暗殺を実行する人間のことで、刑務所に入ったら帰ってこないことからそう呼ばれている。アメリカでは「ワン・ウェイ・チケット」と言ったりするが、普通のヤツはやりたがらないし、やらない。

鉄砲玉は日本のヤクザ映画には欠かせないキャラクターで、暗殺に行く前に親分や幹部から「おまえが刑務所におる間は家族の面倒も見るし、出所したら金バッジ(幹部)じゃ」などとそそのかされるが、たいていの場合、その約束は反故(ほご)にされるというのがお決まりのパターンだ。

人生の何分の一かの時間を刑務所で過ごす代わりに出世するという、どう考えても割に合わないライフプランだ。それでも「親分(オヤジ)のためなら」とか「兄貴のためなら」という自己犠牲の精神で鉄砲玉になる人間もかつてはいたが、法律が改正され懲役刑の刑期が延びたことで、俺みたいな若いヤツはもう誰もやりたがらないという話だった。

つまり、ヒロシが言った「カネか時間」の「時間」というのは刑務所で過ごす時間という意味なのだ。

なんと言っても俺はそのときまだ19歳だ。いくら憧れのヤクザといっても、鉄砲玉にさせられて刑務所に入って出所したらすぐに50歳、なんていうのはカンベンしてほしい。

そんなわけで俺は柳田のとっつぁんに師事して、ってそんな偉そうなもんじゃないが、シノギのやり方をレクチャーしてもらうことになった。

ヤクザのシノギというと一般的には、地上げ、用心棒、恐喝、地下カジノなどの賭博、違法薬物の密売、売春の斡旋、ノミ屋、ダフ屋、闇金融といった、いかにも悪そうな匂いのすることばかりが頭に浮かぶと思うが、それは昔の話でいまはもうそういうのがそのまま通用する時代じゃない。

そう言って、柳田のとっつぁんが昆布茶をすすり、おもむろにくわえたタバコに俺がすかさずライターで火をつける。その喫茶店で流れるBGMは琴が奏でる昭和ヒット歌謡のインストメドレー。クラシックミュージックではない。

「要するに、カネになりさえすればなんだってやるのがいまのヤクザだ。昔、『タラコッチ』っていうガキのおもちゃが流行ったことがあってよ。タラコの粒々が孵(かえ)って無数の稚魚になってくってゲーム……知らねえか、知らねえよな。とにかくそれが大流行して、どこ行っても売り切れで、ほんとに奪い合いみたいになってよ。で、あるとき若い衆に問屋の倉庫から1万個くらいかっぱらってこさせて、定価の5倍くらいで全部売りさばいたときは最高だったなあ……」

美術館からピカソの絵だとか、国宝級の美術品を盗むとかならまだしも、俺としては正直「クール」とは言い難いシノギだが、現実は厳しいのだろう。

「それで、とみいはよ……」なにか言いかけたとっつぁんが、突然ふと思い出したように、今日は何日だと聞いた。「〇日です」と答えると、とっつぁんがあわてだした。今日が携帯電話の料金の支払い期日なので、携帯ショップに行かなければならないという。そんなもの銀行口座からの引き落としにすればいいじゃないですかと言ったら、おまえはバカかと怒鳴られた。

そのとき初めて聞かされたのだが、いまの日本でヤクザをやるということは、江戸時代にキリスト教徒になるようなもんだととっつぁんが言った。

一度、反社会的勢力のメンバーであると認定されてしまうと、銀行に口座の開設はおろか、生命保険、アパートの賃貸契約など、おおよそ「契約」というものが結べなくなる。クルマだって買えない、ゴルフ場などのレジャー施設にも入れない、ラブホ以外はホテルにも泊まれないらしい。

要するに、いまのヤクザはお上(国)によって、手足をがんじがらめに縛られ、まともに暮らしていけなくされているのだという。

「だけどよう」とっつぁんが、ふと例の猛獣の目になると俺の顔を真っ直ぐに見て言った。

「俺は意地でもヤクザをやめねえぞ。あっちが邪魔しようとしてくればくるほど俺は燃えるんだ」

正直、俺がアメリカで思い描いていたヤクザの世界とはかなり違っていたが、ここまで来たら行けるとこまで行くしかない。

俺の覚悟を読み取ったようにとっつぁんが言った。

「近々、でっかいシノギの計画がある。おめえも手伝え」

親分の舎弟であるとっつぁんに言われたら、イエスもノーもない。俺はわかりましたと言ってその日を待った。