大日本プロレス所属の現役プロレスラーでありながら、パーソナルトレーニングジムの代表トレーナーとして、経営者の顔も併せ持つ吉野達彦選手。そんな吉野選手に、パーソナルトレーニングジムを立ち上げた経緯と“兼業”の手応え、そして新刊『吉野式空腹睡眠ダイエット』(辰巳出版)の内容、さらにはレスラーとしての目標について聞きました。
兼業しても8時間は寝られる
――プロレスラーの方が“兼業”、つまり、プロレスという過酷なリングに立ちながら、パーソナルジムを経営するということは、まだまだ珍しく感じる人も多いかと思います。まずは、その“兼業”に至った経緯をお聞かせください。
吉野 多くのレスラーがそうだと思いますがデビュー当初は試合が少なく、プロレスのギャラだけでは食べていけない状況でした。もちろん大好きなプロレスだけで食べていきたかったんですが、生活ができないのは困りますから、「仕事としてトレーナーを頑張り、好きなプロレスも絶対にあきらめない!」ということを自分のテーマにしたんです。
おっしゃるとおり、僕がトレーナーとしてのキャリアをスタートさせた2009年頃は、やはり“兼業”レスラーは珍しかったですね。それでも、自分の人生は自分のもの。ですから、いわゆる「引退後を考えて……」ではなく、「空いている時間を何に割くか?」と考えたときに、大好きなプロレスとフィットネスだけに時間を使いたいと思ったんですね。それ以外のことは、寝る以外何もやらなくていいという気持ちでした。しかも、「24時間のうちで8時間ずつ割いたとしても、きちんと8時間も睡眠が取れるじゃないか!」って。それで、実際に“兼業”を考えるようになりました。
――なるほど。では、具体的に「フィットネス事業をやろう!」となったときに、もちろん、プロレスラーとして培った人脈や知識こそおありになったとは思いますが、立ち上げや宣伝など、ほぼゼロからのスタートだったかと想像します。立ち上げまでの経緯をお聞かせいただけますか?
吉野 大学時代にはティップネスさんの下北沢店でアルバイトをしていたのですが、卒業後は広告代理店に就職したんです。ところが広告マンになったものの、まったく向いていなくて……。そこで、やはり好きなこと、向いていることで食べていこうと、プロレスとフィットネスとを始めたんです。
そのころ、ちょうどお客様だった方が体育の先生で、大学の講師をされていた。その方が、部活のフィジカルトレーナーとして、いろいろな高校や大学と契約されていたのですが、そこに帯同させていただいて、メニューの組み方や、コーチングの仕方を習い、2014年、一緒にパーソナルジムを立ち上げたんです。その後、僕が“師匠”と呼ぶその方からのれん分けをいただき、晴れて独立という経緯です。
――当時のジムというと、まだ「広くて、駅近で、設備もしっかりしていて」という時代ですよね。加圧トレーニングなどが出始めた頃ではないでしょうか。そのような時期に、アイデアとしてパーソナルトレーニングを選択した理由はありますか?
吉野 以前、大手の個室ジムで少しお手伝いさせて頂いたことがきっかけですね。マンションの一室に、パワーラック1個。つまり、大きな設備投資がいらないんです。そこで、「結局はトレーナーの“技術と人”につくんだな」ということを痛感しました。もちろん、僕のジムには一応パワーラックとダンベルを置いているんですが、正直いらないんです。トレーナーって、上達すればするほど、物(設備)を使わなくなるんですよ。
――では、その「“技術と人”につく」「過剰な設備はいらない」といった2つの信念から、たとえ場所が広くなくてもお客様に満足いただける、という考えがおありになったわけですね。
吉野 そうですね。うちには、ほかのフィットネスジムのようなシャワーやアメニティもないんです。でも、僕はお客様を「健康的にに痩せさせる」ための、本当のコミット式をやろうと思っていましたし、そこには自信がありましたので、パーソナルトレーニングを選択したわけです。しかも、メインターゲットをかなりセグメントしていて、20~40代の運動が苦手な女性で、ダイエットに失敗してきた人向け。ですから、バーベルも100キロは置いていません。要は、バキバキの大会向けの方のジムではないんです。