劇作家・根本宗子が、自身の舞台をもとにした小説『もっと超越した所へ。』(徳間書店)を出版。10月14日に全国公開された同名の映画では脚本も執筆した。“映像化不可能”と言われた7年前の舞台を、小説化しようと思ったキッカケや映画と小説の相互関係、さらにラジオへの想いまで多岐にわたって語ってくれた。

▲根本宗子インタビュー

演劇は残らない芸術だからこそ形で残したかった

――素人ながら、もともとお芝居だったものを映画の脚本に直すのも大変なのに、そこからまた小説を書くというのは、もっと大変なのではと想像します。

根本宗子(以下、根本) 大変でした。そもそも、この『もっと超越した所へ。』の舞台を上演したのが7年前で、こんなに時を経て「映画にしましょう」と言っていただけるとは思ってなかったんです。

このお芝居は、当時出ていた出演者に当て書きしたもので、もう再演することはないだろうなと思っていたんですが、映画化の企画をいただいたときに、自分で脚本を担当できて、クリエーションチームに自分が入ることができたから、映画化に向けて動きだしたという経緯があります。それと同時に「あわせて、小説を出すというのはありえますか?」とオファーをいただいて、“全部やってみるのいいな”と思ったのがキッカケですね。

――大変なことであるにも関わらず、小説化というオファーのどういう点が根本さんの心を動かしたんでしょうか?

根本 今まで演劇をずっとやってきて感じていたのが、“演劇は残らない芸術だな”ということなんです。映像では残るけど、生で見る臨場感や熱は千秋楽で終わることで消えてしまう、そこが演劇が好きな理由なんですけど、コロナ禍になったことで切なさも一段と感じるようになりました。

残らないのは良さでもあるけど、同時に虚しさもあって。そう感じるなかで、この作品のようにかなり前の作品でも「面白かった」と言っていただけることがある。じゃあ、演劇じゃない何か形に残るもので、残せるなら残しておきたいなと思ったのが大きいですね。

あとは同じ作品で、お芝居の脚本、映画の脚本、小説というのをやったことある人が、パッと浮かばなかったのも、一作家として面白いなと思いました。先輩方は私よりはるかにたくさんの作品を残されてますし、舞台脚本、映画脚本、小説もやられてますけど、全部を一人でやった方ってパッと思い出せないだけかもしれませんが、いないんじゃないかなって。誰もやっていないことにトライするのはもともと好きなので、機会をいただけるならやってみようと思いました。

自分と小説の距離感がつかめた

――今年は4月にも『今、出来る、精一杯。』を発表されて、これもとても面白い作品で、だからこそお聞きしたいんですが、“また次作も書こう”と思われたのか、それとも“大変だし当分いいや……”なのか、単純にファンとしてお聞きしたいなと思いました。

根本 今年いきなり2冊出して、自分と小説の距離感がわかったような気がしました。でも、自分のことを小説家だと思ったことは一度もないし、小説家の方に比べたら小説というものに向き合っている時間なんか比べ物にならない。ただ、『今、出来る、精一杯。』で少し距離感がつかめたことで、この『もっと超越した所へ。』は、『今、出来る、精一杯。』よりは楽しんで書けたんです。

ただ、舞台で1回成功したもので、映画も試写を見せていただいてすごく面白かったから、舞台と映画どっちにも負けないものを作らないといけない、という意味のわからないプレッシャーには苛まれましたね(笑)。

――自分の作品に苦しめられる、というなかでも、かなり特殊なパターンですね(笑)。

根本 でも、ずっと自分の中で考えていたのは、映画でも舞台でもやれない小説だからこそできること、というのを表現できないと納得できない、ということ。なので、かなり締切のギリギリまで粘って書いたんですけど、自分の中で納得のいくものができたので、良かったなと思ってます。

――先程、舞台のときは当て書きだった、とおっしゃってましたが、先に映画版の配役を見たことによって小説に影響を及ぼした、なんてことはあったのでしょうか?

根本 基本的に私は普段、新作の舞台を書くときは、そのキャラクターがどういうところに行き着くのかが自分でもわからないまま書いてて、そういうところが楽しいって思ってるんです。

ただ、今回は前に書いているから結末はわかってるし、どういうルートを辿るかは知っている。だから影響を及ぼしているとしたら、それ以外のところを掘り下げる作業をしているときかもしれません。自分の書いたセリフなんだけど、もう1回全部のセリフを考え直して、どういう人だったのかを考える。これはすごく演出の作業に近いなと思いました。演出をやっていたからこそ、できたのかなと思ってます。

今回、映画版のキャストがお芝居してくれてるのを見て、例えば三浦貴大さん演じる飯島慎太郎と趣里ちゃん演じる櫻井鈴のペアは、舞台版だと慎太郎はただただプライドの高いイヤな奴って感じで描かれてるんですけど、小説では少し慎太郎の気持ちもわかるな、というふうに書かれていると思うんです。

それは、お二人の映画でのお芝居、鈴が慎太郎に対して粘ったところとか、慎太郎がただプライドが高いだけで鈴に暴言を吐いているとは見えないところとか。そういうのを見て、かなり刺激をもらって書きましたね。

――なるほど、たしかに小説を読んでそう感じてました。あと、菊池風磨さん演じる朝井怜人が登場して、すぐ醸し出す不穏な空気。映画でも小説でも、優しいは優しいけど……と見る側に思わせるLINEのマメさとか……。

根本 そういうところも、一人ひとりを改めて掘り下げる作業ができたからこそ、出てきたのかもしれないですね。小説という完全に一人の作業で、自分の書きたいことに向き合えたので、この2冊はいいタイミングだったなと思います。