安倍晋三元首相の残した功績は数多くありますが、中でも安倍元首相の提唱により、「自由で開かれたインド太平洋」の実現に向けて、発足した日米豪印戦略対話(クワッド)は大きな功績であると、『歴代総理の通信簿』などの著作で知られる、歴史家・評論家の八幡和郎氏は称賛します。

国民の関心が全くなかった頃から、インドの重要性を訴え続け、インドを西側陣営と結びつけた事こそが、安倍元首相が世界を変えた功績であると八幡氏は説明します。インドを引き込んだことで、世界にはなにがもたらされたのでしょうか。

※本記事は、八幡和郎​:著『安倍さんはなぜリベラルに憎まれたのか - 地球儀を俯瞰した世界最高の政治家 -』(ワニブックス:刊)より一部を抜粋編集したものです。 

インドを西側陣営と結びつけた世界史的意味

そして、暗殺事件のあと、米アメリカン・エンタープライズ研究所のザック・クーパー研究員は、次のように述べました。

「衝撃的なニュースだ。彼をこんなに早く失ったことを受け入れるのは難しい」

「安倍さんは、そびえたつ存在だった。彼は、多くの米国人の、日本だけでなく、インド太平洋全体への見方を再定義した」

「安倍政権下では、しばしば日本が米国を主導することになった。(米国が日本を主導してきた)何十年にもわたる慣行を逆転させた」

ただ、これを報じたのが、朝日新聞でしたので、「生きてるうちにそういう記事を少しでも書け」とさんざん罵詈雑言がSNSで飛び交いました。

米上院は2022年7月20日、安倍さんを「世界の自由と繁栄、安全を促進するとともに、権威主義や専制に対抗する今後数十年の日米協力の礎を築いた偉大な友人」と称賛。「一流の政治家であり、民主的価値のたゆまぬ擁護者」と讃える追悼決議案を全会一致で採択しました。

安倍さんの業績のなかで世界を変えたかもしれないのは、インドを西側陣営に組み込んだことかもしれません。中国の台頭の結果、アメリカの力が圧倒的であるという前提をたてられなくなっているなかで、日米豪印戦略対話(クワッド)という枠組みを成立させ、さらに英仏独などが力を合わせられる枠組みもつくりあげたのです。

「自由で開かれたインド太平洋」、安倍元首相の一言が変えた米国のアジア観と中国観」という記事が、あのリベラルなCNNの電子版にのっていました(2022年7月22日)。

そこには、「暗殺者の銃弾で殺害された安倍氏は生前、西側の同時代人の誰よりも多くのことに取り組み、その課題に対応してきた」「同氏が作り出したシンプルなフレーズ、『自由で開かれたインド太平洋』は、多くの外国の政治指導者たちを変えた」「もっとも重要な点だが、結果的にある一国が表舞台に登場することになった」「インドの重要性を認識し、民主主義の立場から将来の中国覇権に対して均衡を保つ役割を担うと考え、組織的にインドの指導者らへの呼びかけを開始し、構想の中へと引き入れた」と言った言葉が散りばめられていたのです。

私は1990年代の前半に、通商産業省でインド担当課長も務めていたころ、同じ発想でインドとの関係を飛躍的に発展させたいと思い、無理矢理に用事を創ってインドにいったりもしました。

しかし、このころは、インドとの直行便はなくなり、通商産業省は事務官キャリアの商務官の派遣をやめ、ニューデリーには日本料理屋がひとつもありませんでした。いくらインドの重要性を訴えても、国民の関心は低かったのですが、安倍さんは一気に日本外交の主要な同盟国として位置づけ、選挙区を訪ねてモディ首相をもり立て、訪問時も大歓迎されました。

また、モディ首相の訪日時には、京都の東寺でインド伝来の曼荼羅の世界を首相が見学する様子がインドのテレビでは流されていましたが、ヒンズー教徒にとってインパクトがあったと思います。

フィリピンでもドゥテルテ大統領の地盤のミンダナオ島を訪ねて大統領を喜ばせましたが、このあたりがとても上手でした。

また、中東でも米国と厳しく対立しているイランを訪問して大歓迎されたし、ヨルダンのアブドゥラ国王、ムハンマド皇太子(現国王)などとはとくに長時間、語り合いました。

そうした席に多く同席した西村康俊元経済財政大臣になぜ気が合ったのか聞くと、世界各国の首脳とどう向かい合うべきか的確なアドバイスが出来たからでないかというのですが、あわせて、話題になった本人に聞こえても支障のない言い方が上手だったということもありそうです。

▲インドとの外交は世界の姿勢を変えた イメージ:chormail / PIXTA