第二次プチブレイク期を迎えて

父親の死は、想像以上に俺の心にポッカリと大きな穴を開けた。どれだけ苦労したって、貧乏したって、いつかビッグになればそれでOK。そうすれば父親は俺を見直してくれるし、褒めてもらえる。それが俺のモチベーションになっていた。

だが、父親が死んでからというもの、地方の営業に呼ばれてステージ上で酔っぱらいにヤジられていると、無性に悲しくなってくる。俺は、この先どうやって頑張ればいいかが、わからなくなってしまっていた。

だが、芸人は辞めることはなかった。この時期は芸人として、そんなに悪い時期ではなかったからだ。

一番の思い出は、深夜番組だがコアなお笑いファンから爆発的な人気を誇った『あらびき団』に出れたことだろう。

若い頃にツイストを踊っていたことを生かしたネタを、司会の東野さんと藤井さんは面白がってくれた。『リンカーン』の芸人エレベーターのコーナーにも受かり、俺のなかでは第二次ブレイク期を迎えていた。ちなみに第一期は『レッドカーペット』の出れた頃。ニ度目のチャンスを絶対モノにするぞ! と鼻息は荒かった。

月イチの事務所ライブは、客前でネタをかけれる絶好の機会だ。小さいハコだったら、客の反応がダイレクトにわかるから、ネタ作りのヒントにしていた。

ある日の事務所ライブの日のことだ。後輩芸人が「最近オスカーに入ってきた『先輩×後輩』という芸人のツッコミのほうがイケメンで、けっこう人気あるらしいですよ」と教えてくれた。そう、お笑いに詳しい人は知っているだろう。彼たちが後のぺこぱである。

特に興味も関心もなかったが、事務所の兄貴分を気取っていた立場としては、どんなヤツらなのか、どれほどの腕前なのかチェックしなければいけない。

彼らのネタが始まると舞台袖に行く。最初に目がいったのはやはりツッコミだった。確かに若くてイケメンで、お笑いライブに出れば多少の人気は出るだろうが、こんなチャラチャラしたヤツはすぐに辞めるだろうとも思った。

肝心のネタも、当時はまったく面白くなかった。イケメンでちょっと人気がある若手が、壁にぶち当たりバンバン辞めてく姿をたくさん見てきた俺は、またこのパターンかと思った。芸の世界は、そんなに甘くない。

余談だが、彼らが俺に抱いた第一印象は、ドクロのニット帽に革ジャンで楽屋に入ってきた、とんでもなく悪そうな人だと思ったらしい。そんな見た目なのに、ラジコンと一緒にツイスト踊るという、わけのわからないネタを始める「変な人」だと思ったとか。たしかに、そこまでガラが悪くはないだろう。