病室には変わり果てた父親の姿
新しい事務所に所属して一年が経ったが、ライブ、ショーパブ、営業などを繰り返す日々は変わらなかった。そんなある日、フジテレビのオーディションの帰り道、妹から留守電が入っているのに気づく。
「お兄ちゃん。今、お父さんが成城学園のプールで具合が悪くなって、救急車で病院に運ばれたらしいの。かなりヤバいかもしれないの。私は今から病院に行くから、お兄ちゃんも急いで来て」
携帯電話を手にした俺は言葉を失った。数週間前に会ったとき、父親はピンピンしていた。その父親が救急車で運ばれた? 動揺を隠せない俺は、震える手で妹に電話する。
妹によると、妹の旦那と一緒にプールで泳いでいたら急に具合が悪くなり、休憩室で休ませてもらったものの、ついには救急車を呼ぶ事態になったらしい。信じられるわけがない。お台場から武蔵境の病院まで急いで向かいながら、ひたすら無事を祈った。
8月の蒸し暑い日だった。病院に着き、憔悴した様子の母親と妹に声をかける。親父は集中治療室で治療を受けているらしく、非常に危険な状態だと涙声で教えてくれる。
夕方になり、治療を終えた医師から説明を受ける。
「一命は取り止めました」
だが、心筋梗塞で心臓が3分の1程度しか動いておらず、非常に危険な状態らしい。集中治療室に入ると、意識はなく、人工呼吸器を口に入れて点滴をしている変わり果てた父親がいた。
「おい、嘘だろ」
この前まで、あんなに元気だったし、仕事を定年退職してまだ1年しか経ってない。これから先、まだまだ楽しいことがたくさん待っているに違いない。担当の先生に、どうにか助けてくださいと頭を下げる。
母親はひどく動転している。そこから父親は入院するのだが、医師から電話が来るたびに母親はパニックを起こしてしまうため、長男である俺の電話が緊急連絡先になった。だが、俺だって毎日電話が鳴るのが怖かった。
休める仕事は休んで病院に行く。代打がきかない営業にも2本ほど行った。ステージでモノマネしながら歌う『世界に一つだけの花』が、なんだか悲しい曲に思えた。毎日祈るような気持ちだった。
集中治療室に運ばれてから1週間ほどすると、父親の容体が少し良くなって、喋れるまでに回復した。父親は救急車の中の様子など鮮明に覚えていて、「死ぬときはこんなに苦しいのかと思うほど苦しいぞ〜」と言って、みんなを笑わせていた。人工呼吸器も外れたので、順調に回復に向かうかと思ったが、喋れるようになったのは、その1日だけだった。
その夜にはまた容体が悪くなり、ふたたび人工呼吸器をつけることになる。次の日も、その次の日も病院に行くが、容体は悪いほうに向かってると医師から伝えられた。どうやら、持病の糖尿病との合併症を引き起こしているとのことだった。