新型コロナの感染拡大は、国民の生活様式を大きく変化させた。それは鉄道業界にも大きな影響を及ぼした。テレワークの普及で働き方が大きく変動し、国民の鉄道に対する考え方も大きく変わりました。

2018年に出版した「私鉄3.0 沿線人気NO.1・東急電鉄の戦略的ブランディング」で、私鉄が目指すべきさらなる「未来=3.0」を、現役の東急株式会社常務執行役員の立場から説いたのが東浦亮典氏。

東急グループ100周年という節目の年に、常務役員という重責を担うポジションに就いた東浦氏が、その立場から東急が100年の歴史の中で作り上げてきた、「ひと」「まち」「企業」を潤わせてきた東急のまちづくりについて大いに語ります。

※本記事は、東浦亮典:著『東急百年 - 私鉄ビジネスモデルのゲームチェンジ -』(ワニブックス:刊)より一部を抜粋編集したものです。

550万人が住む沿線開発の歴史

2022年9月2日、渋谷にあるセルリアンタワー東急ホテルのバンケットルーム。

この日、岸田内閣総理大臣をはじめ、国、自治体、財界、東急沿線の有力地権者や商工関係者など、日頃より東急がお世話になっている方々に多数ご参集いただき、「東急グループ百周年」を祝う宴が開催されました。

100年といえばまさに1世紀。全国で創業百周年以上を数える企業は4万社を超え、2022年度に百周年を迎える企業数も1,300社以上ありますので、東急グループが百周年を迎えたことは、特別珍しいことではないのかもしれません。

しかし、百年前はまったく都市化されていなかった特定地域に密着して、一民間企業の熱意が事業リスクと背中合わせでありながら、鉄道を敷設し、周辺地域を宅地化し、生活利便施設、娯楽施設などをつくり、やがて550万人を超える人々が生活をする沿線、街をつくりあげてきた。それは歴史的にも社会的にもそれなりの意義があるのではないかと思っています。

実際にご参集いただいた錚々(そうそう)たる方々を見ても、社会的貢献度は高かったのだろうと思います。

鉄道事業の視点では、1872年(明治5年)10月に新橋駅~横浜駅(現 桜木町駅)間で初の旅客列車が運転開始となっているので、2022年は「鉄道開業150周年」にあたるわけですから、東急の鉄道業としての歴史はそれと比較するとまだ短いということになります。

しかし、その100年で、550万人を超える住民に加え、この地域に働きに来る人、学びに来る人、遊びに来る人などを含めると、さらに大きな都市生活の基盤をつくりあげてきました。

▲東急は都市生活の基盤をつくりあげてきた 出典:genki / PIXTA

もちろん、東急一社でこの全ての環境をつくれたわけではありません。

地域の自治体や地権者、町会、商店会など、実にさまざまなステークホルダーとの協働によってつくりあげてきたものです。だからこそ、百周年の記念式典には、先人たちへの敬意と、これまでご協力いただいた関係者への感謝の気持ちを、いまできる限りの想いをこめてお伝えする場となりました。

この百年の道のりは、決して平坦だったわけではありません。何度も経営危機ともいえる時期を乗り越えてきました。そのたびに、経営陣、社員が一丸となって危機に立ち向かい、ある時はかなりの出血を覚悟して、いくつかの事業撤退や子会社清算などの決断をしてきました。

決して格好よいことではないかもしれませんが、痛みを伴う事業変革を断行し、新陳代謝を繰り返すたびに、少しずつ筋肉質の経営体質になり、また新たな事業を創造する力を得てきたと言えると思います。

そうした諸先輩たちの選択と集中、新たな分野への果敢なチャレンジの積み重ねの結果、この百年という記念日に辿り着けたのだと思います。

東急の源流たる「田園都市株式会社」および現在の東急の百年の歴史の起点となる「目黒蒲田電鉄株式会社」から現在に至る東急グループの歴史概観については、前著『私鉄3.0』に詳しく記したので、そちらをご参照いただくとして、本書からお読みいただく皆さまに、東急グループの沿革について軽くご紹介したいと思います。