WBC2度のMVPとスター性! 平成の怪物・松坂大輔
最後は平成の怪物の松坂大輔だ。
松坂は、成績や実績の凄さはもちろんのこと、数々の記憶に残る名場面を生み出したこともあるだろう。デビュー戦で、片岡篤史に投じた155km/hは、当時の野球ファンに大きな衝撃を与えたに違いない。また、この年のイチローとの初対戦では、3打席3連続三振を奪ってみせた。その試合後のインタビューで「自信が確信に変わりました」という名言も誕生。
このピッチングや発言で、多くのファンが松坂大輔という選手のスケールの大きさを目に焼きつけたことだろう。3年目には15勝15敗で沢村賞を獲得。賛否両論にもなったが、これも松坂らしいと言えば松坂らしさがある。
その後も、リーグ優勝・日本一・WBC連覇とMVP獲得・ワールドシリーズ制覇まで、プロ野球選手ならば一度は夢見るところまで駆け上がっていった。2008年にはサイ・ヤング賞の候補としても4位に入った。
個人としての通算記録や球速などでは、現在活躍している選手には劣るかもしれない。しかし、高校時代からプロ入り後まで、漫画の主人公のようなストーリーを描いて、キャリアを歩んだのは松坂ぐらいだろう。
甲子園で春夏連覇して、高卒新人から3年連続最多勝。沢村賞など個人タイトルを獲得。メジャーでは最高で18勝を挙げワールドチャンピオンにも輝いた。WBC連覇とMVPも獲得。
しかし、酷使の代償は大きく、トミー・ジョン手術後、プロ野球生活の終盤は故障との戦いだった。140キロの技巧派のような投球も本当はしたくないと語るほど、本格派の投球に美学を持つあの松坂が、慣れ親しんだライオンズの18番を背負って最後の力を振り絞って、120km/hにも満たないストレートを懸命に投げ込んだ。こういった最後の姿にも感銘を受けた。印象だけではなく、世代間のなかでもずば抜けた実績を誇っていた。
高校3年の代では無敗で史上初の4冠を達成した。圧倒的な実力と実績があったのはもちろんのこと、人々を惹きつけるスター性があったからこそ、愛された選手だったのだろう。
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NPBやメジャー、WBCなど数々の場面で印象に残る活躍をみせてくれた投手を中心にみてきたが、タイトル獲得数やスター性、記憶に残るといった意味では、やはり松坂大輔がエースというファンの方も多いのではないだろうか。
また、持っているポテンシャルを考えれば、佐々木朗希が歴代最高の投手と呼ばれる日が来るはずだ。