ロシアによるウクライナ侵攻がはじまってもうすぐ10ヶ月となる。ロシアは早い段階で黒海を封鎖して穀物の輸送を遮断する作戦を実行。これが起点となり、穀物の供給量が減り、世界的な食料価格の高騰を招いている。

対してウクライナはデンマークから米国マクドネル・ダグラス社の対艦ミサイル「ハープーン」の提供を受けることに。これにより「黒海は再び安全になるだろう」との見方が多かったが、実際にロシアの黒海封鎖解除は可能だったのだろうか?

防衛問題研究家の桜林美佐氏が、海上軍事のプロフェッショナルである伊藤俊幸元海将に「黒海の海上封鎖」について聞いてみました。

※本記事は、インターネット番組「チャンネルくらら」での鼎談を書籍化した『陸・海・空 究極のブリーフィング-宇露戦争、台湾、ウサデン、防衛費、安全保障の行方-』(ワニブックス:刊)より一部を抜粋編集したものです。

日本にとって他人事ではない黒海の海上封鎖

桜林 ウクライナ侵攻が開始されて3カ月が経った2022年5月28日に、プーチン大統領が軍志願兵の年齢上限を撤廃する法案に署名しました。4月26日に、「ロシア軍の死者数は約1万5000人に上る」というウォレス英国防相の分析発表があったなか、まだまだ兵士を集めているロシア側の様子が見られた局面でした。この現状をどのように見るべきなのか、まずは海のお話から伺っていきたいと思います。

ロシアによる黒海の封鎖でウクライナへの穀物の輸送が滞っているということが大きな問題になっています。そうしたなか、5月23日にデンマークがウクライナに対して「ハープーン」(米国マクドネル・ダグラス社開発の対艦ミサイル。harpoonは捕鯨用の銛(もり)を意味し、もともとは浮上した潜水艦を攻撃するためのもの)を提供する方針を明らかにしました。これが黒海封鎖の解消に繋がるのではないかという話も出ていますが、どうご覧になっていますか?

伊藤(海) ロイター(イギリスの通信社)がそう書いたんですよね。ロシアはウクライナの周りに潜水艦も含めてだいたい20隻の船をおいて封鎖しているけれど、ハープーンの提供で黒海封鎖が解けて穀物封鎖が解消するんじゃないか、というふうに。

ウクライナが、自前の対艦ミサイル「ネプチューン」でロシア海軍黒海艦隊旗艦「モスクワ」を撃沈したと発表して話題になったのは4月13日のことでしたが、ハープーンは、ネプチューンと同じような、NATO側が持っている対艦ミサイルです。海上自衛隊も持っています。私は潜水艦から実際に発射したことがあります。

このハープーンの提供によって穀物封鎖が解けるんじゃないかという報道なんですが、ひと言で言うと、ハープーンを持ったからといって封鎖が解けるわけではない、と私は思いました。

▲ネプチューン(巡航ミサイル) 出典:Адміністрація Президента України.(Wikimedia Commons)
▲ボスポラス海峡 出典:Transferred from en.wikipedia to Commons.(Wikimedia Commons)
▲ボスポラス海峡の位置

地図を見ていただければわかる通り、ウクライナはボスポラス海峡を抜けて穀物を外に持ち出すことができ、地中海に運び入れることでやっと世界中に配送することができるんですね。

ウクライナがオデーサ港湾から物を運び出すことができないのは、周辺にロシアの船が20隻ぐらいいるから、という理屈になっているわけですが、それ以上にボスポラス海峡の手前を封鎖されれば終わりなんですね。ここしか出口がないわけですから、そこにロシアの潜水艦が6隻いたらウクライナの船舶は海峡に入れないんです。

ハープーンミサイルは、撃てば水上艦にドーンと当たります。おそらくネプチューンと同じぐらいの効果はあって、水上艦なら叩けると思いますが、潜水艦は絶対に無理です。もともとハープーンミサイルは浮上している潜水艦を狙うのにつくられたものですが、潜水艦は基本的に潜って動くものです。

だから、そこにロシアの潜水艦がいるというだけでウクライナの商船は動けません。まさに第二次世界大戦の時の「通商破壊」(通商物資や人を乗せた商船を攻撃することによって海運による輸送を妨害する戦時行為)をするわけです。それを踏まえれば、ハープーンミサイルを渡したからといって黒海の封鎖が解けるというものではないと思います。

▲黒海と地中海の衛星写真 出典:NASA Earth Observatory(Wikimedia Commons)

ちなみに、黒海がどれぐらい大きいかわかりますか? 横幅が1100kmあるんですよ。ウクライナに提供されたハープーンミサイルの射程は公称220kmなので、オデーサからミサイルを飛ばした場合、クリミア半島の横あたりまでしか飛ばないんです。ボスポラス海峡は、そこからさらに1.5倍ぐらいの距離にあるのです。

「じゃあウクライナの海軍にハープーンミサイルを載せればいいじゃないか」という話になりますが、海軍といってもウクライナには3隻しか艦艇がありません。艦隊にもなっていないんですね。

実は、黒海にいるロシア艦隊も本当はたいしたことはないんです。日本のいわゆる護衛艦に相当する4000t以上の船は5隻だけですからね。あとは潜水艦が6隻、上陸用艦艇が5隻ぐらい。他はみんな500tぐらいのミサイル艇などです。けれども、そういった船がいるだけでも商船は止められます。

ちなみに今、ボスポラス海峡で何が起きているかというと、トルコが「軍艦は通さない」という号令をかけているんですね。商船は自由に通れるわけですけれども、そういう中にあっても、残念ながらウクライナは商船を港から出すことすらできない状態になっているということです。

桜林 先の大戦では、アメリカが日本に対して「対日飢餓作戦」を行いました。日本沿岸に機雷を撒いて海上輸送を麻痺させるという作戦ですが、それと同じようなものですね。

伊藤(海) 同じです。ロシアは今、機雷もばら撒いていますからね。

桜林 機雷が撒かれた状態であればなおさら、そこを民間の船が出入りするということは絶対にできませんよね。

伊藤(海) だから、残念ながら今の枠組みのままではなかなか黒海封鎖は解けないということです。どうしても陸送で送るしかない。

桜林 海上封鎖の痛手は、日本人にとっては本当に他人事ではありません。すごくダメージが大きいのだということを改めて知る必要がありますね。