ノンフィクションライター、中村計が『週刊文春』誌上で連載していたものをまとめた『笑い神 M-1、その純情と狂気』(文藝春秋)。

一夜にして富と人気を手にすることができる「M-1グランプリ」。いまや年末の風物詩であるお笑いのビッグイベントは、吉本興業内に作られた一人だけの新部署「漫才プロジェクト」の社員、そして稀代のプロデューサー島田紳助の“賞金をな、1千万にするんや”という途方もないアイディアによって誕生した。そして、このM-1に、“ちゃっちゃっと優勝して、天下を獲ったるわい”と乗り込んだコンビがいた。のちに「ミスターM-1」「M-1の申し子」と呼ばれ、2002年から9年連続で決勝に進出した笑い飯である。(作品紹介より)

今週末、12月18日(日)に行われるM-1グランプリ。その歴史を芸人・笑い飯を軸に描いたこの作品は、連載開始当初から、多くの話題を呼んだ。

この連載をまとめ、大幅に加筆修正した『笑い神 M-1、その純情と狂気』を出版した中村氏に、連載のきっかけや、芸人のなかでも指折りで真意を聞き出すのに苦労するだろう笑い飯に切り込めた理由や、自身が思うM-1史上最高の漫才についてなど、多岐にわたって聞いてみた。

▲中村計氏

笑い飯に深く切り込めたのはマネージャーさんのおかげ

――この本は週刊文春の連載をまとめて、新たに加筆修正されたものです。改めて連載に至った経緯をお聞かせいただけますか?

中村 もともと、オール阪神・巨人の巨人さんが4度目の上方漫才大賞を受賞したタイミングで、文藝春秋でインタビューさせていただいたんです。それまではお笑い、漫才のことはほとんど知らなかったんですが、昔からオール阪神・巨人さんはとても好きでした。声、リズム、語り口、全てが心地良い。自分は落語が好きなのですが、阪神・巨人さんの漫才は好きな噺家さんの落語や、好きな歌手の歌を聞いているような気持ちになるんです。

――以前、巨人さんにニュースクランチのインタビューに答えていただいたとき、その声が素晴らしいというインタビュアーの言葉に、「知り合いのライターさんにもそう言っていただける」と仰っていたんですが、たぶん中村さんのことだったんですね。

中村 そうかもしれないです(笑)。その文藝春秋のインタビューを見た集英社の編集者から「週刊プレイボーイで巨人さんの連載をお願いできませんか?」とお話をいただいて、今そこで取材と構成を担当しているんですが、毎週なので連載のネタを探さないといけない。なので、巨人さんの仕事現場にお邪魔するようになったんですが、そこで初めてM-1の決勝の現場を体験し、改めてM-1というものに興味を持つようになったんですよね。

――中村さんは、ナイツ塙さんの新書『言い訳 関東芸人はなぜM-1で勝てないのか』でも聞き手を担当されています。この本も、巨人さんの現場に触れて、M-1に興味を持ったのがきっかけだったんですね。

中村 はい。M-1に興味を持ったタイミングで、過去のM-1を改めて調べると、圧倒的に関西のしゃべくり漫才が強い。自分も大学の4年間、京都にいたので、関西の文化に多少は触れていたから、“まあそりゃそうだよな”という納得もありつつ、“じゃあ、なんで関東の芸人はM-1で勝てないのか”というのを、自分が思う関東っぽい芸人である塙さんに話を聞いてみようと。ただ、こういう切り口でこういうタイトルなんですけど、塙さんは「自分はそうは思わないですけどね」と常に言ってました。

――たしかに中身を読むと、そう断定しているわけじゃないですよね。とても丁寧に、漫才にまつわるあらゆることについて、理由を述べている。

中村 個人的には、『言い訳 関東芸人はなぜM-1で勝てないのか』については、漫才論というよりか、東西文化論に行きつく内容かなと思っています。漫才、ということにとどまらず、東西の言葉、言語論にまで及ぶ本かなと。

――巨人さん、塙さん、M-1に対してかなり関係が深い方と密接に関わってきた中村さんですが、巨人さんと塙さん、それぞれ違った価値観や独自の理論をお持ちだと思うんです。だから芸人さんに対して、いろいろなイメージをお持ちだと思うのですが、今回、この「笑い神」を連載される前と後で、芸人という職業に対して、印象が変わったことはありましたか?

中村 やっぱり、より好きになりましたね。ピリピリしていて、怖いところももちろんあるけど、でも根はとても優しい人たちなんです、芸人さんって。だから、より好きになりました。

――この本を連載当時から楽しみに読んでいたんですが、一番の驚きが笑い飯さんにこんなに切り込んでいる!って驚きだったんです。僕の中のイメージだと、笑い飯さんは真面目なところ、素の表情を見せない方だと思っていたので。

中村 そこに関して言うと、笑い飯さんのマネージャー、大谷さんのおかげですね。芸人さんの取材って、どなたが窓口かっていうのがすごく重要だと思っていて、笑い飯の窓口である大谷さんは若い方なんですけど、とにかく笑い飯さんに対して愛があって、笑い飯を何とかしたいっていう気持ちの強い方だったんです。ここまで深く話を聞けたのは、それに尽きるかなと思っています。

――笑い飯さんがいわゆるバラエティに順応できなくて、盟友であり尊敬しあっている千鳥さんとの現状の違いを書いているところ、ああいうことは信頼感や協力がないと書けないですよね。それでも、笑い飯さんの取材は胸の内を明かしてくれなくて、大変そうだなと感じます。

中村 西田さんは何回も取材させていただいたんですが、いまだにお会いすると、はじめまして感がありますね、人見知りされる方なんだと思います。ただ、ふとした瞬間にパッと打ち解ける感じもありました。

取材の申し込みはたくさん断られました

――中村さんの本は『甲子園が割れた日 松井秀喜5連続敬遠の真実』にしても、『勝ち過ぎた監督 駒大苫小牧幻の三連覇』にしても、きちんと勝者だけじゃなく、敗者……敗者という言い方は二元論すぎますが、主人公じゃないほうにもフォーカスを当てるのが素晴らしいと思っています。この本では、笑い飯のお二人がそれぞれ結成前に組んでいた、すでに辞めた相方にもフォーカスを当てているところに、中村さんのこだわりを感じたのですが、特にこの本を書くときに気をつけたことはありますか?

中村 この本に限ったことじゃないんですが、大前提として、さっき言ったみたいに対象を好きになる、ということでしょうか。好きになったら何を書いてもいい、とまでは言いませんが、好きになって相手にそれが伝わったら、9割は書いてもいいと思っているんです、すごく乱暴に聞こえてしまっていたらすみません。

ただ、連載やこの本を読んだ方に「よくここまで切り込んで書けたね」と言われることがあるんですけど、自信を持って言えるのは、僕は人間の美しいところより、愚かしいところに惹かれる、ということです。そういうところを好きになってしまう。“馬鹿だなあ”って。

――なるほど、意地悪な視点が一切ないんですね。

中村 その人が恥ずかしいと思っているかもしれないところも、僕は“可愛いな、チャーミングでしょう?”という気持ちで書いているんです。だから他意なく、躊躇なく書けているんだと思います。

――M-1で結果を出せなかった人や、複雑な思いを吐露する方は出てきますが、この本にはいわゆるイヤな人、この人苦手だな、と思うような人は出てこないですね。中村さんを通して、描かれた全ての方がとても魅力的に描かれている。

中村 でも、ちらっと本の中にも書いたんですが、取材の申し込みはたくさん断られました。

――そうなんですね。そのなかでも、ケンドーコバヤシさんに取材したところと、麒麟の川島さんに別の取材のとき、M-1について聞いた際のピリピリ感が生かされているのにも、驚きがありました。

中村 そうですね。笑い飯さんをいち早く面白いと言った方は、バッファロー吾郎さんとケンドーコバヤシさんだと聞いたので、お話を伺いに行ったんです。でも、まず最初に「漫才論は話しません」と言われたんです、あと、そういうことを掘り下げるのもサムいと。

――それでも、取材を断ればいいのに、ああやって持論を中村さんにぶつけるコバヤシさんは、すごくカッコいいなと思いました。

中村 はい、僕もそう思いました。ちゃんと向き合ってくださってるな、と感じました。

――語らない、ということが逆説的に言うと、語っていることになると。

中村 そう思いました。塙さんが言っていたんですが、“お笑いを語らない”という人も、そのスタイルは既に語っている、と。