おまえの存在そのものが反則だよ
地理のほかにもうひとつ、得意な科目がある。実は体育だ。ぼくは、どんな運動をやっても人並み外れていた。
小さい頃から自宅の近所にある叔父さんがやっている酒屋を手伝っていた。まったく記憶にないんだけど、ぼくは2歳で玄関にあった10kgのミカン箱を持ち上げ台所まで運んだらしい。
それを憶えていた叔父さんに「おまえは力持ちだから手伝ってくれ。小学生だとアルバイトで雇うわけにはいかないから、小遣いっていうことでお金もちゃんとやるぞ」と言われそれを始めると、パワーがつくのと並行してどんどん背も伸びていった。何もスポーツはやっていなかったけれど、力仕事はまったく苦にならなかった。
「おまえの存在そのものが反則だよ。勝てるわけねえじゃん!」
体育の授業で2組に分かれて試合をやると、どんな競技でも必ず相手チームから文句を言われた。じゃあ手を抜けって言うの? そっちの方がおかしいだろ。
「体が大きいのに走っても速いし、球技でも俊敏なのは中学や高校にもそうはいないよ」
先生は手放しで誉めてくれた。そして最後には、決まってみんなからこうはやし立てられる。
「アンドレ、将来は絶対プロレスラーになれよな!」
プロレス? ちょっと待ってよ。ぼくは争いごとが好きじゃないんだ。人間同士が殴ったり蹴ったりするのって、何が楽しいの?
男の子って、スポーツが好きなんだよな。ジャイアンツが勝ってどうだとか、朝青龍は強いけれど好きになれないとか、普段はJリーグを見ていないのにワールドカップの時だけ会話に入ってくるとか、みんなが授業そっちのけで話す。
そのうち、プロレスごっこが始まる。ラリアットとコブラツイストぐらいはぼくも知っているけど、あとの技名は難解な専門用語のようで頭に入ってこない。
ぼくはその輪の中に入れなかったけれど、別に苦ではないし疎外感もゼロだった。本を読んだり、地図をながめたりするのに邪魔されなくて逆に好都合だと思えた。
授業でやる相撲も、放課後につきあい程度のつもりで野球やサッカーに混ざる時も、決まって先生やチームメイトに期待されてしまう。それだと何かを背負っているようで、軽い気持ちで楽しめない。
だからどんなにできても、どんなに強くても体育という科目や運動が好きにはなれなかったんだ。校庭で駆けずり回るより、日本地図とにらめっこしながら一個一個地名を憶える方が、ぼくは性に合っていた。
クラスの男子生徒は給食後の昼休みになると、校庭で遊ぶためにみんな出ていく。ぼくだけが大きな体を縮こませて机へ座っていると、誰かが聞こえるようにつぶやきながら通りすぎる。
「小学生で180cm以上もあるっていうのにスポーツをやらないなんて、宝の持ちぐされだよな―」
周囲のよけいな期待や、小学生にしては大きすぎる背に対する好奇の目は煩わしかったものの、それ以外は毎日が楽しい小学校での6年間。来年の今頃は、中学生として最初の夏を迎えている。
そしてたぶん…ぼくは楢葉の田舎にいない。なぜなら、父にこう言われていたから。
「レイジ、中学にいったらなんでもいいからスポーツのクラブに入れ。おまえは体が大きい分、運動不足になるのはよくない。勉強と両立させてみろ」
プロ野球が好きな父さんは、ハッキリとは言わなかったけれどぼくをスポーツの道に進ませたいようだった。それで、なかば強制的にクラブ活動を命じられた。
運動部に入ったら、夏休みは練習に明け暮れる毎日。つまり、田舎へ遊びにいく時間なんてとれなくなる。
本音を言ったら嫌に決まっている。だけどぼくに親へ口ごたえするような勇気がなかった。ああ、中学に入ったら暗黒の3年間が待っているのか。だからこそ、小学生最後の夏休みを思いっきり楽しもうと思っていたんだ――。