「デスマッチをやってる選手たちは本当に凄い」(関本)
「大介のチョップは蛍光灯の破片を同じくらい痛い」(伊東)
──馬淵史郎監督と言えば高校時代の松井秀喜さんに、5打席連続の敬遠を指示して有名になった方ですね。
関本 馬淵監督は大日本プロレス初代社長の、グレート小鹿会長と面識があったようです。ですから大日本に入団したのは、高校の進路指導で監督に勧められたからですね。
──とりわけ関本選手の方は、よくわからない入団経緯ですね。
関本 詳しく話せば非常に長くなるので、ワニブックスさんから発売された、私の自伝『劣等感』を読んで頂ければ、そのあたりのことは詳しく書いています。
伊東 自分の入団経緯もちょっと特殊なんですが、同じくワニブックスさんから発売された自伝『デスマッチ・ドラゴンは死なない』に詳しく書いています。
──宣伝、ありがとうございます。でも、お二人とも決して積極的な入団動機ではないですが、それでも21年も大日本でプロレスを続けていますよね。
伊東 振り返ってみれば経営的に厳しい時期もあって、大介と工事現場でバイトをした時期もあったんですが、移籍するのも面倒だったからですかね。でも、他の団体に移籍していたら、プロレスラーとして今ほど名前を知られることはなかったと思います。
関本 自分はグレート小鹿会長にプロレスラーにしていただいたので、会長の目が黒い間は大日本を離れることはありません。小鹿会長にも大日本プロレスにも恩しかないですから。
──現在はもっぱら通常ルールで闘っている関本選手ですが、15年位前にはデスマッチをやってた時期もありましたよね。
関本 ありましたね。でも向いていませんでした。刺さったり切れたりする痛みに弱いんですよ。だから伊東選手をはじめ、デスマッチをやってる選手たちは、本当に凄いと思うし尊敬しています。
伊東 自分にとってはデスマッチで切れたり刺さったりする痛みも、投げられたり殴られたりする痛みも、どちらも同じなんですよ。蛍光灯の破片で切れるのも痛いですが、大介のチョップも負けないくらい痛い。そのあたりは、他のデスマッチファイターも同じじゃないですかね。どっちが偉いとか優れてるじゃなくて、適正の問題だと思っています。