昨今の野球で、日に日に重要性が増すセットアッパーとクローザーという役割。いわゆる中継ぎというポジションだ。試合終盤の勝敗が決まるしびれる場面で登板し、相手バッターと対峙する。

今回は、そんな重要な存在のセットアッパーとクローザーのなかで、素晴らしい成績をおさめている投手をみていこう。

試合を締める役割を担うクローザー

クローザーは試合を締めるポジションであり、メンタル的な部分が大きく占められる。現役投手では、栗林良吏(広島)や松井裕樹(楽天)がこのポジションのトップで、大勢(巨人)もそのレベルになりつつあると言っていいだろう。

クローザーの代表格といえば岩瀬仁紀は外せない。大学社会人経由でプロ入りし、キャリア序盤はセットアッパーだったなかで、当時30歳を迎えた6年目からクローザーに転向。そこから最終的には407セーブを記録した。最初はセットアッパーの役割を担い、年齢的に落ち着き始めた時期にクローザーに転向したことが良かったのだろう。

岩瀬の持ち味といえば、横の角度があるスライダーである。さらにシュートも有効に使えており、左右の幅を効かせたピッチングで長年抑えてきた。全盛期の岩瀬は、球種がわかっていても打てないレベルだったのは間違いない。また、体の頑丈さもずば抜けており、セットアッパー時代に無理のある起用に耐えられた部分も大きい。

▲日本代表としてもマウンドにあがった岩瀬仁紀 写真:アフロスポーツ

次は佐々木主浩だ。フィジカルの全盛期は1990年代といってもいいが、2000年にメジャーリーグに活躍の場を移してからは3年連続で30セーブを挙げ、メジャー4年間で228試合に登板し、129セーブを記録。

特に2001年は、シーズン中に自己最速の154km/hを記録。MLBタイ記録となるチーム116勝目を45セーブで締めくくるなどの活躍を見せた。ただ、佐々木の場合はスピードボールとフォークのイメージだが、コントロールの良さも素晴らしかった。1990年代にはなるが、1997年に記録した奪刷新率14.85は救援投手(50投球回以上)で歴代1位となる偉業である。

最後は藤川球児だ。「火の玉ストレート」は、わかっていても打てないほどで、2006年のオールスターではカブレラに対して、全球ストレートを予告し、1回もバットに当てさせず空振り三振に打ち取った場面は今でも語り継がれている。

この藤川も岩瀬と同様に、セットアッパーから台頭し始めて、打高の時代に脅威の防御率0.68を記録。全盛期ともいえる2005年から2007年は、セットアッパーやクローザーにもかかわらず、100奪三振を超える数字を記録した。