妻が来る前に家庭の問題を片付けることにした
最後にここに述べるヘーリヤなる女性は大女であり、年は二十三、四歳でもあったか。働きは相当であるが一つ大なる欠点を持っていた。それは時々、彼女のもとへクーザン(従兄)と称する男が訪問して来たことであった。
最初、私が岡部と交代したときはそうでもなかったが、半年一年と経つうちにポーリヤ、ヘーリヤ両人に不和が生じ、あるときは私の耳に入るような口論が交わされるのであった。自ら好んで人とディスクッションをする私も、“お勝手”で彼女らのそれを聞くことは愉快なものではなかった。私はその原因が例の“従兄”にあることを直感した。
そして私はポーリヤに対し、ヘーリヤの後任者を推薦すべく要求した。彼女は自分の妹のマーリヤを希望した。彼女は十八、九歳の小柄な女であった。紅顔の田舎娘であった。
マーリヤとヘーリヤの交代後、私の家庭はやっと安全と平和を取り戻したのであった。
私の寝室の隣室に設けられた浴室の湯は、炊事の余熱で沸かされる装置であった。私が初めて入浴したとき、係のヘーリヤは私のための湯の程度を尋ねるのであったが「さあ、それは?」が私の答えであった。その後、四十X度が適温であることを彼女は知り、浴室専用の温度計で湯加減し「ヴァンナ ユシェ ガトーヴォ(入浴準備完了)」と報告するのであった。
非科学的な私は現在、私の適温を失念した。もちろん私の家内も、私の家族も。日本の科学はこうした基礎の上に立っている。科学的云々と世上に叫ばれているが、やはり言葉だけの遊戯ではあるまいか。それは文学的なる我々の血でもあるか。科学者と称する人の家庭も恐らく五十歩百歩ではあるまいか。しからずでは不充分である。社会全般がかくあらねばならぬであろう。
余熱により浴室の湯を沸かすには、水が絶えずボイラーのパイプに充満していることが条件である。それは熱湯が上昇し冷水が下降する、いわゆる交流作用によるからである。
ところがワルソーの復興と人口の増加に伴い、給水能力が追随し得ない結果、水道の水圧が減じ、夜半以後はともかく昼間、特に夕方の炊事の水が私のアパートまで上らない、という悲しむべき現象が生じたのである。私は何か方法がないかと考えた。
当時、私は小型のスポーツカーを求め、自ら運転したいと考えていた。その昔、私の士官候補生時代の教官であり、終戦当時に軍事参議官として自決された駐オーストリア武官、篠塚中佐から貰い受けたドイツ語の自動車エンジンに関する書物を研究中であった。
そして、気化器の内部に浮標を浮かべていることを思い出したのであった。炊事時間を過ぎ、水圧が復旧するならば、その水を自然的に高い場所に固定せるタンクに貯め、それが充満すれば浮標の作用により、自動的に水道の給水作用が停止されることとすればどうかと考えたのであった。
私は、ある建設会社の技師を招聘して私の考案を示した。技師は膝を打って「あなたは大したエンジニアです」と叫んだのであった。一週間程して、大きい四角で白くメッキされた鉄の容積一トンほどのタンクが持ち込まれた。そのタンクの水を通じて水道と浴室とのあいだに水が通ずることとなった。タンクは常時満水しており、水量減ずれば深夜自動的に水が満たされ、また止められるのであった。
私の最も心配せる問題が解決された。いつ妻が来ても、私どもの家庭生活には不便と不足はないであろう。
私は大なるサイノロジスト(愛妻家)であった。私どもと同階層の人々は、はたして私のこの優秀なる科学的叡智(?)を利用したかどうか。また、これに関係した建設会社が私の新案を十二分に利用したかどうかは疑問である。
※本記事は、樋口季一郎:著『〈復刻新版〉陸軍中将 樋口季一郎の回想録』(啓文社:刊)より一部を抜粋編集したものです。