日本の当たり前と海外での当たり前は全く違う。特に情報量が現代とは格段に違う大正時代であれば、殊更である。樋口季一郎陸軍中将がポーランド駐在武官時代に経験した、ヨーロッパと日本の結婚観の違い。そして、自由で放蕩的な生活を終わらせることにした事件とは?

2万人のユダヤ人を救った“もう一人の東洋のシンドラー”と呼ばれる樋口季一郎陸軍中将。大正十四年、ポーランド駐在武官としてシベリア経由ワルソーに赴任した樋口中将は、この駐在武官時代に才能を開花し、大尉から新鋭の少佐となり駐在武官として、すぐれた業績を残している。この連載は、ポーランド駐在武官として活躍した記録である。

ポーランドの新聞記者から聞かれた日本人の結婚観

ある日、私のところへワルソーのある新聞記者が来訪した。それは日本の結婚形式に関するインターヴェを目的としたものであった。彼はロシア語に巧みであった。彼は「日本の結婚は愛を基礎とせず、義理人情を基調とする両親、または他人の強制によるものであって、基本的人権に反するものではないか」と、ひどく闘争的態度をもって挑んでくるのであった。

私は「それは一部実際であるが、人権云々はあたらぬ。いったい男女が恋愛に基づいて結婚することは結構なことであるが、一生を通じて考える場合、果してそれで必ず幸福であるともいえないと思う。いったい恋愛はいかなる経路を辿って進展していくものであるか。

貴国の例をみると、まずお茶、レセプション、バール等で男女が知り合いになり、彼女は私の気の入ったという些細なことから発展するのであるが、いよいよ恋愛まで到達すると男も女の眼がくらんで、善は善、悪もまた善というふうに自らの眼に映ずるようになる。

日本では、それを“アバタもエクボ”と呼んでいる。つまり恋愛の双方は、ともに相手の資質を明瞭に認識すべき良識を喪失し、かつ放棄するのである。これは危険なことではないか。このような恋愛に基づく結婚は、必ずや結婚直後において失望するであろう。

何故なら人間は、結婚生活に入るとともに満足のあとの不満、喜びのあとの悲しみを覚ゆるものであるからである。この境地に達するとぼつぼつ相手の欠点が見え出し、何故こんな相手と結婚したのか。自分の一生はこれで終りだと感ずるに至り、その極端な場合においては、相手の顔を見るのも声を聞くのもいやというまでになるものである。

▲新聞記者から聞かれた当時の日本人の結婚観とは? イメージ:Fast&Slow / PIXTA

その結果が離婚となるのである。貴国は強度のカトリック教国であるから、表面上は離婚はせぬにしても、精神的にまた肉体的に離婚せる“夫婦”が同居して、表面上は紳士の家庭を装っているものが随分多いではないか。彼ら男性は公然と、また秘かに他に女性を求め、女性もまた同様、他に男性を求めているのではないか。

それは青年男女の盲目性を是認する両親その他、人生経験者の無責任から来る欠陥であり、動物性本能の欠点を補足しえない経験者の不親切に原因するのである。更に私をして極言せしむれば、貴国の恋愛結婚は恋愛の真価値を交際および婚約期間において浪費し去り、いよいよ結婚生活に入ったときは既にこの恋愛は消耗し、老廃し、離婚第一歩に入っているのである。

これで離婚がなければ不思議ではないか。私の国では簡単に男女の交際を許さぬ。それは男女青年の動物性と軽率性とを計算に入れているからである。

私どもはまず双方“似合う”かどうかを検討する。“釣り合わぬが不縁の基”という原理に基づくものである。それはナポレオンにしても皇帝となれば釣り合わぬということか、ジョセフィーヌを悲惨の立場に置いたではないか。それから双方の家庭を検討する。父母よければ子供またよきことが自然だからである。

最後に、問題の男女双方に愛の発生をみるか如何かを検討する。昔はこの点が閑却されたが今日はこれを極めて重要視するのである。男女双方において、ポーランドの恋愛の第一歩のごとく、彼(彼女)は私の気の入ったとなれば、それは既に恋愛の第一歩に入ったものである。そこで僅少の期間交際を許し、あまり時間を置かずして結婚せしむるのである。

この方法を採用する場合、男女は結婚後、相当長時日にわたり益々恋愛の熱度を高めつつ二人の生活を享楽し得るのであって、そのあいだ子供もでき、家庭生活が建設的かつ健全となるのである。私はポーランドの、両性の恋愛の滓(かす)としての結婚制度を排撃する」と論じ去ったのであった。