海外で生活するのにもっとも大きな問題が言葉。樋口季一郎陸軍中将がポーランド駐在武官時代に雇っていた秘書・ミンケウィチは、八か国語を習得していた。彼の家には、ほかにもタイピストや女中がいたが、そこで経験する文化の違いやトラブルなどは、今読んでも興味深い。

2万人のユダヤ人を救った“もう一人の東洋のシンドラー”と呼ばれる樋口季一郎陸軍中将。大正十四年、ポーランド駐在武官としてシベリア経由ワルソーに赴任した樋口中将は、この駐在武官時代に才能を開花し、大尉から新鋭の少佐となり駐在武官として、すぐれた業績を残している。この連載は、ポーランド駐在武官として活躍した記録である。

独学でも不自由のない語学力を誇る秘書

私の妻が賀茂丸で横浜を出港した、との電報が私の手許に届いたのは、大正十五(1926)年の五月のある日であった。また東京にいた石原莞爾から、その船に徳川十五代将軍慶喜公の孫にあたる宗敬氏(後の伯爵、参議院副議長)夫妻もいるから、マルセイユまで出迎えてくれと書面で報じて来た。私は妻の到着するまで私個人に関する生活を改造するとともに、施設的にも万事準備すべき必要を感じた。

▲徳川宗敬 出典:国立国会図書館デジタルコレクション / Wikimedia Commons

私の家には秘書としてミンケウィチが、またタイピストとして独露語に堪能なポーランド婦人の某女、ほかにポーリヤ、ヘーリヤなる二人の女中がいた。

ミンケウィチは三十五歳ぐらいの、身の丈五尺(約150cm)ぐらいの善良なる人物であった。性質きわめて正直かつ勤勉で表裏なく、まったくもって神に近き人物であった。能力的にはともかくとして、きわめて忠実であり特に語学に長じた。ロシア・ドイツ・フランス・イギリス・スペイン・イタリア・ギリシア・日本の諸国語に通じた。ロシア・ドイツ・フランス・イギリス語は、その国人としても立派なくらいのインテリゲンチャである。

日本語はペトログラードの大学で勉強中、趣味として独学したというのであるが、私どもとの会話において不自由がないのであった。驚くべきことには、私どもが帰朝後、彼より候文の拝啓陳者式の日本文の礼状を受領したことであった。

外国人には時々、このようないわば“気遣い?”がいるのである。彼の外形の普通人と異なるごとく、彼の頭脳もまた一種異なっているのであろうか。欧州各国語は単語も近似しており、語尾に特徴があるだけで同一でないまでも甚(はなは)だよく似ている。私のような近似即錯誤ならいざ知らず、彼のような頭脳の持主にあっては、欧州語の三つ四つを正確に話し、かつ書くことはさほどの難事ではないのであろう。

ポーランド参謀本部附で、私との連絡を担当していた某中尉は、英語の必要を感じたとて一月ばかり特別に勉強したのであったが、まもなく英米の武官と英語で用を弁じているのであった。多少難点を持っているが、語の配列がほとんど同一であるから、単語を覚えると自国語にそれを置き換えただけで、ほとんど完全に近い他国語ができるのである。

わがミンケウィチについても同一であり、あえて私は驚かぬこととしても、彼がこの難渋なる日本語を独力でかくまでこなし、かつ書くことはなんとしても人間技ではないであろう。

ドイツのライプチヒ大学教授シェルツェであったか、言語学のうえで世界の人類を分類したのであった。

彼の意見に従えば、ユーラシア(欧亜)の人類はだいたいにおいて混血されている。そこで血液、骨格などをもって分類しても明瞭とはならない。だが、それぞれの民族の固有の言語はなかなか混淆(こんこう)しないのであるから、言語によって人類を区別するのが最も適当であると主張する。

さらに彼は、言語といえども単語は絶えず増加混淆するから、単語を見たのでは区別がつかぬこととなる。問題はヴォルトフォルゲである。つまり“語の配列”である。これは言語の根幹であり、絶対に民族と不可分のものである。

その故に、日本人がドイツ語を、ドイツ人が日本語を学習することが難事であり、英、仏、独人が相互に多国語を学ぶことが容易とされる。そのようにして“語の配列”により人種を区別する場合、整然たる一の系列が生れると主張するのであった。

このようにみてくると、支那人は気候その他の関係上、黄色人種として日本人に近いようであるが、言語学上の本質に鑑みると、むしろ西欧人に近いと言いえるのである。

かくして、世界人類に最も特殊なトウーラン民族(人種)が存在するというのである。トウーランは現在のトルキスタン地方であり、そこに発生し発達した民族が現在の私どもの日本語と同一の“語の配列”を持っているのであり、日本・朝鮮・満州・蒙古・ハンガリー・フィンランド・エストニアがそれであるとされる。

ハンガリー人の有識者のなかには、この説を深く信じているものが多い。この説によると、日本民族の主力がこのトウーラン語系の言語を保存しつつ、東方の孤島に渡り来たり、他の北方系や南方系を同化したものとも考えられるのである。私どもの祖国は、トウーラン即ちトルキスタンであるべきか。

さて、このミンケウィチ秘書は大の日本愛好者であって、彼の第一の望みは日本へ行くことであり、第二の望みは日本婦人を家内に持つことであった。私はぜひ彼の熱烈な希望を叶えてやりたいと思ったが、それも達成せずして彼の祖国は共産圏に入り、私の祖国は今苦難に喘いでいる。今や私にはその力量がない。

タイピストたる某婦人は、五十近い肥満型の醜婦であった。頭脳は宜しいとしても、私とて醜婦とオフィスの生活をともにすることはあまり愉快なものではなかった。

コックたるポーリヤは真面目な、料理に通じた科学性豊かな女であり、妻がポーランドへ来て数々の日本料理を教授したところ、またたく間にそれの大意を理解したのであり、巻き寿司でもうま煮でも口取りでも、また茶碗蒸しでもなんでも立派にマスターしたものであった。私の妻は彼女から「茶碗蒸しは何分間蒸すべきか」を尋ねられ、辟易していたことが印象的であった。

この女は婚期過ぎた三十女であって、少しヒステリックな点があったが、職務にはきわめて忠実であった。