打率3割以上であれば、好打者と言われる野球。その3割に乗せるのがとても難しい。しかし、そんななかでも軽々と3割を超え、ときには4割に迫ろうかという活躍をみせる打者たちがいる。

今回は、ヒットを積み重ねるアベレージヒッターについてみていこう。

メジャーでシーズン262安打を放ったイチロー

アベレージヒッターとして一番に名前があがるのは、やはりイチローだ。NPB時代の7年連続首位打者(1994年~2000年)はもちろんのこと、メジャーリーグでも2度の首位打者を獲得。キャリアを通してヒットの印象が強いと思われるが、NPB時代には25本のホームランを(1995年)を放ち、本塁打争いもした。

さらに、メジャー時代も2005年に15本塁打を記録している。ベースとなるパワーは兼ね備えていたが、スラッガー揃いのメジャーリーグでは、ヒットメーカーとして生きる道を選んだ。

200本安打に関しては、10年連続(2001年~2010年)で記録した。常に世界トップクラスの活躍をしていたが、特に2004年のシーズン262安打はアンタッチャブルレコード。一生塗り替えられないと言われている。このシーズンは30歳を迎えており、フィジカル的に全盛期と言える時期だっただろう。

▲2004年、シーズン最多安打記録となる262安打を放ったイチロー 写真:AP/アフロ

だが、そんな2004年シーズンは最初から良い出だしだったわけではない。4月末時点では102打数26安打、打率.255と低調な成績だった。活躍が不安視されていたなかで、5月から一気に調子を上げていく。6月11日には自己タイの38試合連続出塁、6月26日には早くもシーズン100安打に到達する。ただ、この6月も月間打率2割台に終わった。

しかし、7月、8月は4割台(.432、.463)で9月は.373、10月は.419を記録。後半戦の成績は、333打数143安打、打率.429と驚異的な数字を残した。

この年、ストライクゾーンのコースの打率は全て3割を超えており、投手も投げるコースがなくお手上げ状態だった。世界の安打製造機となったこのシーズンは、今でも語り継がれている。

また、WBCで日本代表を引っ張った二大会も印象に残っている人は多いだろう。孤高の天才が日の丸を背負って、あそこまでパッションを見せたことは印象深い。

さらに第二回大会は不調に苦しんでいたが、決勝戦で試合を決めるタイムリーは伝説とも言われている。日本でもアメリカでも、誰よりもヒットを打ったイチローは、間違いなく球史に名が残る選手である。