プロレスには医学を超えた力がある

花道を戻るタスケさんに、ぼくはついた。途中で中年の女性が「待ってください!」と叫びながらブルーシートに手招きしている。そこには車イスの横へ立って満面の笑みを浮かべるおばあちゃんの姿があった。

「タスケさん、ウチの母はもう何年も車イス生活が続いていて、一人で立つことができなかったんです。それが、タスケさんが勝った瞬間、喜びのあまり無意識のうちに立ち上がったんです! 本当に…本当にありがとうござい…ま…う、うっ、う……」

▲プロレスには医学を超えた力がある イラスト:榎本タイキ

話すうちに涙があふれてきて、最後は言葉にならないおばさん。その話を聞いた周りの若いファンは口々に「おお、リアル“クララが立った”じゃん! タスケ、すげえ!!」と盛り上がる。

それまでぼくの肩に寄りかかってうめいていたタスケさんは、一転し背筋を伸ばすと「それがプロレスの力なんです!」と迷いのない目で言い放ち、おばあちゃんを抱き締めた。そこでも沸き起こる「タスケ! タスケ!」の大コール。

ぼくの知らない世界が、そこにあった。プロレスには医学を超えた力があるというのか。いや、タスケさんだからこその不思議なパワーなのか。

扉向こうの通路にまで響くコール。ぼくは言われるがまま、タスケさんの控室へ入る。

イスに腰をおろしたタスケさんは「アンドレ、今日一日で気づいたことをなんでもいいから言ってみろ」と聞いてきた。何もかもが初めての体験だったから、一度では言いきれない。なので、たった今思った疑問を口にした。

「タスケさんは、どうして相手の人と最後に握手をしたんですか? もう何度もだまされているんですよね」

考えてみれば、だまされた人に対しこのようなことを言うのは失礼だ。なのに、タスケさんは「おまえは、そこに気がついたか! いいぞ、いいぞー」と、逆によくぞ突っ込んでくれたとばかりに手を叩いて喜んだのだ。

「あのな、あそこで俺が握手しないで帰っちゃったら、お客さんは喜ぶと思うか? どっちらけだろ。むしろ、俺がだまされるところを見たいはずだ。だからこっちはあえてだまされてやったんだよ」

「じゃあ、もしかすると試合の途中で脚立に登ったのも…」

「まあ、あれも半分はそうだな。脚立の上から飛んで、技を決めることができたらそれを見てお客は喜ぶし、ああやって邪魔されて落ちたら落ちたで目を引きつけることができる。

いいか、アンドレ。プロレスラーにとって、もっとも重要なのはいかにお金を払って来た客を喜ばせるかだ。そのためならなんだってやるぐらいの覚悟を持つんだぞ」

ぼくは「はい」と返事をしつつも、半分はタスケさんの言っていることを理解できずにいた。プロだからお客さんを喜ばせなければならないというのはなんとなくわかる。けれども脚立から落ちたら、そのダメージで負けてしまう可能性もある。

負けたら意味がないんじゃ…のどから出かかっていたその言葉を、ぼくは飲み込んだ。機嫌よくしているのに、それを否定してタスケさんを怒らせるのはまずいと思ったからだ。

タスケさんの世話を終えたあとは、若手のみんなとリングの撤収作業へ。体育館内を片づけると、来た時と同じようにバンへ乗る。

どこに向かうのか聞く間もなく、車は真っ暗闇の中に浮かぶ倉庫の前で停まった。その隣の建物へ、みんな無言で入っていく。

「おまえも今日からここで生活するんだ」

先輩の言葉で、そこが合宿所だということを理解した。

『アンドレ・ザ・小学生』は、次回2月9日(木)更新予定です。お楽しみに!!


プロフィール
鈴木 健.txt(すずき・けん)
1966年9月3日、東京都葛飾区出身。1988年9月から2009年9月までの21年間、ベースボール・マガジン社に在籍し『週刊プロレス』編集次長及び同誌携帯サイト『週刊プロレスmobile』編集長を務める。退社後は“表現ジャンル編集ライター”としてプロレスに限らず音楽、演劇、映画などで執筆し、50団体以上のプロレス中継の実況・解説も経験。読売日本テレビ文化センターにて文章講座「鈴木健.txtの体感文法講座」の講師を務める。著書にプロレス界の365日分の出来事を一冊にまとめた『プロレス きょうは何の日?』(河出書房新社)、ムード歌謡グループ「純烈」のノンフィクション本『白と黒とハッピー~純烈物語』『純烈物語20-21』(扶桑社)がある。巣鴨・闘道館にてプロレスラー・関係者を招いてのトークイベント「鈴木健.txt対決シリーズ」を月一で開催中。Twitter:@yaroutxt、<BLOG>『KEN筆.txt』
プロフィール
榎本 タイキ(えのもと・たいき)
イラストレーター、グラフィックデザイナー。5月9日生まれ、愛知県名古屋市出身(東京都在住)。愛知産業大学 造形学部 産業デザイン学科卒業。インターナショナルアカデミー パレットクラブ京都校イラストレーション科修了。2007年「TOKYO illustration」公募入賞ほか、受賞歴多数。2013年 イラストレーション展『HEARTFUL PALLET』ほか、展覧会開催も多数。多くの書籍のイラストも担当。プロレス愛に溢れた作品の数々から、プロレスファンからの人気、信頼は厚く、自身の著書に『プロレス語辞典: プロレスにまつわる言葉をイラストと豆知識で元気に読み解く』(高木三四郎監修/誠文堂新光社)、イラストお仕事で『プロレスきょうは何の日?』(鈴木健.txt著/河出書房新社)、手掛けたグッズに「高山善廣選手 応援クリアしおり」がある。Twitter:@taiki_e、<公式HP>イラストレーター 榎本タイキ