時は2000年代初期。インターネットが普及し始め、スマホではなく“ケータイ”だった頃、身長が180cmを超えながらスポーツが嫌いで、難しい地名を知ることが楽しみな漢字オタクの小学生がいました。あだ名は「アンドレ」。これは、そんな少年が東北の風景の中でプロレスを通じ経験し、人生を学んだひと夏の物語です。

【前回までのあらすじ】
まただまされるとわかっていながら握手に応じ、やっぱり襲われてしまったグレート・タスケに正直な疑問をぶつけたアンドレ。巡業初日の風景は何もかもが自分の知らない世界――その日の夜から東北プロレス合宿所での生活が始まった。

体力があるこの体を授けてくれた親に感謝

合宿所の中へ入ると、宇佐川さんから「アンドレは万念と相部屋だ」と言われた。誰がその先輩なのかと見渡したところ、手招きしてぼくを呼んでいる人がいる。あ、楢葉で宣伝カーを運転していたお兄さんじゃないか。

背はぼくよりも20cmぐらい低く見えるし、坊主頭で見るからにやさしそうだったためホッとする。万念先輩のあとをついて2階にあがると、雑然とした部屋に通された。

「俺、北見万念。ついこの間まで別の練習生が一緒だったんだけど、厳しさに耐えられなくてやめちゃったんだ。束の間の一人部屋はよかったけど…まあ、お互いあまり気を遣わずやろうよ」

「万念先輩は入門してどれぐらいなんですか?」

「3年経つけど、デビューしたのはつい最近だよ。俺、練習生生活が長かったんだ。普通は基礎体力と基本的な動きを身につけて1年ぐらいでデビューできるんだけど…」

万念先輩によると、新人が入ってはやめていくため常にほとんどの雑用がまわってきて、練習よりもそれに追われる日々が続いたのだという。最近になって、ようやく自分以外の若手が定着するようになり、同時にデビューもできた。

「だから、キミもやめないでくれよな。そして頑張ってプロレスラーとしてデビューしろよ。キミのほかに、ウチにはまだデビューしていない練習生が2人いるから競争だな」

やさしく接してくれる分、レスラーになる気がない自分が申し訳なく思えた。ぼくが下を向いていると、万念先輩は「ちゃんこの作り方を教えるから下にいこう」と言った――。

翌日は興行がない日だった。万念先輩に起こされたぼくは、着替えを済ませると隣の倉庫へと連れていかれた。朝の静寂の中、けたたましいほどのシャッターを開ける音が響き、ビックリした鳥たちがいっせいに飛び去る。

中には、試合で使うものよりずっと古ぼけたリングがあった。その脇にはウエートトレーニング用の器具も並んでいる。倉庫だと思っていたところは、道場だった。

ぼくを含めた若手5人に指導するのは、中心選手のひとりの野橋たろ太郎先輩。背は万念先輩と同じぐらいなのに、運動の仕方や技を教えるのがすごく理論的で、なんでも根性だけでやらせるようなことはしないタイプのコーチらしい。

「アンドレは入ったばかりだから、最初は無理するなよ。そのうち、否応なく無理させられるようになるけどな」

タスケさんと同じことを言うたろ太郎先輩だが、それでも練習はキツい。昨日の試合前に会場でやらされたメニューに加え道場付近を走らされ、ウエート器具を慣れないながらもあげてみた。さらには受け身を倍の数こなした。

どんなに運動が得意でも、通常は動かさない箇所を鍛えたものだから、昨晩はひどい筋肉痛でほとんど寝られず。昨日以上にぼくは這いつくばるしかなかったが、なんとか食らいついていく。

もともと体力があるこの体を授けてくれた親に、初めて感謝した。プロレスラーになりたいという夢があれば耐えられるかもしれないが、ぼくは違う。死にそうになるぐらいの運動をやる義務など、どこにもなかった。

難しい地名のところへいってみたいと思っても、体力が続かなかったら確実に心は折れていた。それでも、あまりの苦しさに「いったい何やってんだろう…」との迷いも生じる。

あれこれと考えがめぐるうちに、メニューはどんどん進んでいく。道場の時計が正午を指す頃、朝の合同練習は終わった。一同、神棚に向かい正座し礼。休む間もなく台所へいって、ちゃんこを作らなければと思っていると…。

「おーい、デカいの。おまえはちゃんこ作らなくていいから俺と一緒に来い」

いつの間にか、レフェリーの人が道場に来ていた。ぼくがいっていいのかどうかおずおずしていると、万念先輩に「早くいけよ。テッドさんにどやされるから」とうながされた。