脳震とうを起こすほど強烈だったスピンキック!
そして“完全無欠のエース”鶴田さんの欠場により、暮れの「92世界最強タッグ決定リーグ戦」に、デビューわずか4か月で出陣(パートナーは田上明)することになった秋山選手。
小佐野氏から、最終の武道館決戦で優勝がかかった三沢&川田利明との決戦について聞かれると「あれがいちばん緊張した試合。あの試合を経験したからあとはぜんぜん大丈夫」と即答。曰く「カードが決まってから、嘔吐(えず)いていた」そうで、三沢氏を筆頭とするトップ選手たちの心身の強さを体感したようだ。
入団翌年の93年には「秋山準 試練の七番勝負」がスタート。川田利明、スティーブ・ウィリアムスなど強豪たちとの対戦を経て、最後に組まれたのが三沢氏とのシングルだった。結果、タイガードライバーで敗れたのだが、ここで小佐野氏が試合後の三沢氏のコメントを再現してくれた。
「あいつのキャリアで、これだけの闘いを強いるのはかわいそうなところもあるよね。本当だったらもっと下で(試合を)やって自分の技をつくるときなのに、上のほうでいろんな技を出さなきゃいけない。やっぱり同じような若手同士で感情をぶつけあうような試合をすることも大事だと思うよ」
このコメントを聞いた秋山選手は「おっしゃるとおりです!」とキッパリ。実際に“プロレスラーとしての体もできあがっていなかった”そうで、三沢氏のスピンキックで脳震とうを起こすこともあったとか。「3試合連続で脳震とうを起こした翌日は、さすがに試合を欠場した」という秘話を交えながら、三沢氏の技の威力を会場に来ていたファンに「本当によくここまで元気でこれましたよ」としみじみと語る姿が印象的だった。
94年からは毎年「チャンピオン・カーニバル」の公式戦で闘うようになると、三沢氏の評価にも変化があったようで「このままいって(成長して)くれれば、何も言うことはないね」「成長段階にいるヤツは急激に伸びてくるね」というコメント。そして、96年5月23日の札幌大会では三沢氏とのタッグで、川田&田上組を破って世界タッグ王者を初戴冠したことを小佐野氏から聞いた秋山選手。
このときから“五強”と呼ばれることになったことについては「本当にイヤでした。プレッシャーでしかなかったですし、自分で並んだなんて思っていない。大森(隆男)と組んでいるほうがよかった(笑)」と大森選手をまきこみながら、当時の素直な心境を吐露。
一方で、世界タッグ王者になった頃から「(三沢さんが)少しずつ認めてくれているかも」という手ごたえがあったそうで、実際に三沢氏から試合後のコメントで何か注文を受けたり、直接「あれダメだよ」など言われることもなかったそうだ。
「三沢さんこそエース」と断言する理由
そのあとは、三沢氏が持つ三冠ベルトに挑むも厚い壁に跳ね返され続け、その受け身のスゴさ、気持ちの強さを身をもって知った秋山選手。だからこそ体がボロボロなのに弱音を吐かなかった「三沢さんこそがエース」という気持ちを持ち続けており、その想いが21年8月21日にKO-D無差別王座を竹下幸之介選手に明け渡した際、竹下選手に贈った言葉につながったそう。
「どんな試合に臨むときも絶好調でいけ。特にチャンピオンシップは絶対に“どこかが悪い”“心が落ちてる”そんなクソみたいなこと言ってチャンピオンシップに臨むなよ。嘘でもいいから絶好調でいけ。それは先輩から教えられてきたことだから」
ここで小佐野氏が、当時の三沢氏と秋山選手の試合が掲載された『週刊ゴング』の記事を披露すると、今なお褪(あ)せぬ激闘の数々に「おぉ~!」という歓声が上がった。
それゆえに、三沢氏との一番の思い出を問われた際に「悲しい思い出になっちゃうんですけど」と前置きしたうえで「三沢さんは、どんなときでも“キツい”とは言わなかった。“大丈夫ですか?”と聞いたら“大丈夫だよ”って。その人が亡くなった年(2009年)に聞いたら“キツいよ”って……そのときに初めて聞きました。あとから、その年に引退しようと思っていたそうで……悲しい思い出ですけど」と寂しそうにつぶやいた。
トークショーの終盤、秋山選手はシングルで三沢氏を破った試合について聞かれても「超えたなんて一度も思ったことがない、ボクの中のトップレスラーは三沢光晴。今でもそうです!」と断言した。
一方で「トップレスラーはこうあるべき」と語りながらも「今の若い子には強要しない。特にDDTでは絶対にそういうのはない」と自身に言い聞かせた。そんな秋山選手だが、いつしか三沢氏の年齢、キャリアを超えたことを小佐野氏から聞かされると「もう気持ちだけだと思う。技術がどうかではない。気持ちがなくなったら終わりだと思う。どこか痛くても“気のせいだ”と自分に言い聞かせる(笑)」と力強く語り、デビュー30周年を迎えた今後も闘い続けることをファンに約束してくれた。
小佐野氏の著者『至高の三冠王者 三沢光晴』には、このほかに多くのエピソードが掲載されている。仕事やプライベートでつらいことはあったとき、“さりげなく命懸けという生きざま”を見せてくれた三沢氏のことをあらためて思い返してほしい。