南フランスと人生最高のしあわせ
そんなこんなで、
無事(!?)にフランス・パリへと到着した18歳のBABI。
私は交換留学生のような形で、地元の高校に通うことになりました。
パリと聞くとカッコイイけれど、その頃の私はまだまだ子供。もしかしたら、子供どころか子犬のような状態だったと思う。そんな私が、歴史や伝統を重んじるヨーロッパを理解できるわけがないんです。
そんな子犬の私でも、一番思い出に残っているのは、
とにかく旅行に行きまくったこと。
夏になると、彼と彼の地元の友達と一緒に、カンヌ、ニース、サントロペなどに行って、現地のアパートを借りてバカンス。寒くなったらアルプス山脈のメリベルにあるコテージを借りて、スキーをしたり温泉に入ったり。時には、スペインのイビザ島へ行って、島から島を船で渡ったりしてたので、1年のうちでパリにいるのは4〜5ヶ月間くらい。
とにかく、その時の経験がものすごく勉強になった!
フランスの高校生って遊び方を知っているだけじゃなく、遊びに行った地域の歴史や文化についてもめちゃくちゃ詳しい。例えば、南フランスに行った時は「ゴッホの絵の色味は、いま僕たちが来ている南フランスの空気を表現しているんだよ」という会話が当たり前のように出てきたり。
その中で、今でも忘れられないのが、
ナポレオンが生まれたコルシカ島へ行った時のこと。
現地でスクーターを借りてみんなで峠を超えていく。
そこから見えた、信じられないくらいキレイな青い地中海。
人生が本当に豊かだと感じた。
何度も何度も「凄い!」って思うことが連続で起こった。
その感動を超えられる体験って、今でもしていない。
私、超キラキラしてたと思う。
でも、こういうエピソードを話すと、必ず「自慢話でしょ?」って受け取ってしまう人がいるから、今までほとんど話さないようにしてきたんです。
たしかに日本にいると、お金持ちしかできない遊びのように映るかもしれない。だけど、ヨーロッパの人にとっては、夏休みや冬休みに家族や友達と一緒に楽しむ、ごくごく当たり前の国内旅行なんです。私も大人になってから、あの場所って有名なリゾート地だったんだ! と知ったくらい。
実際はそうなんだけど、やっぱり「パリどうだった?」って聞かれた時は、楽しかった思い出話じゃなくて、自分が失敗したりヤラかしちゃった笑える話を頑張って話すようにしていた。
だって、そのほうがみんな安心するんだもん。
本当は失敗なんてもんじゃない経験、泣きたくなるような差別も経験もしてきた。
パリの高校で、キラキラの貴族の美女軍団から「BABIって名前なのに、お前の髪の毛はブロンドじゃないじゃん」と言われた。
彼女たちが料理の授業をしている横を通りかかっただけなのに「見てんじゃねぇよ!」って卵を投げられたことも。
そんなこと、海外に行けば当たり前のようにある差別ということも、頭では理解していた。
でも、私が経験したのは、その差別のルールにすら入っていない。彼女たちからしてみれば、たまたま飛んできた虫をサッと跳ね除けるみたいな感覚。だから、喧嘩にすらならない。
同じ人間なのに、そんなことできるんだって、
逆にスゲー! って思っちゃったくらい(笑)。
そう、小学生の頃に呼び出しをくらった時と同じように、その時も長い目で見ようと思った。いつか話せばわかる時がくるかもしれないって。実際、頑張って勉強してフランス語が話せるようになったら、向こうもリスペクトを持って接してくれるようになったから。
とにかく、心が折れそうになることなんてたくさんあった。
でも、コルシカ島であの景色を見られた私は、
そんなツラさを超えるくらい超幸せなんだよね。
だから、大丈夫。
というわけで、
アメリカ〜フランスで高校生活をしてきた私。
お気づきの方もいらっしゃるかと思いますが、遊びすぎてしまったため、
もちろん卒業なんてできるわけもなく学生生活を修了したのでした……。
そこから20歳までパリに居座り続けていたのですが、
いよいよビザが切れてしまうことに。
そして、もしそのまま彼と一緒にいるのなら、
いよいよ結婚しかない! となったのです。
うん、私はフランス人と結婚して、
このままパリで過ごすことになるのね。
これが、いわゆる幸せな人生ってやつなのかな、ふう……。
とはならず、
むしろそんなことを考えたら急に怖くなってきて、
「いやいや、結婚なんてしないでしょ!」って、
日本に帰国することに決めました。
ビザが切れるから帰るわ!って感じで(笑)。
でも、本当にアメリカとフランスでの生活は楽しかったし、マジでもう十分楽しんだ!ってくらい遊んだかもしれません。そのせいか、今も、あれしたい、これしたい、あれほしい、という欲が無いんです(それで良かったのかな?)。
遊びすぎて楽しすぎて、海外に行っている間は、お父さん、ゆきよ、くさまん先輩と一度も誰とも連絡を取らなかったんです!(※何度かお父さんにメールしたくらい)。日本の家族や友達のことを忘れるくらい、あの頃の私は楽しむことに没頭していました。
でも、お父さんは私から連絡がこなかったことが嬉しかったみたい。
「BABIは今、絶対に楽しいんだろうな」
と思っていたそうです。
そして、ついに帰国。
日本に到着した空港に迎えにきてくれたのは、
もちろん、お父さんとゆきよでした。