働くことを諦めかけた女性が流山で救われた
――個人的には先ほどの秋元さんのお話が特に震えたんですが、大西さんがお会いして“すごいな”と感じた方はいますか?
大西 みんなすごいんですが、やっぱり「第3章 市議になるなら流山」の近藤みほさんですね。まさに今、日本が使えていない筋肉の部分だなと思いました。近藤さんは受験勉強をくぐり抜けて難関大学に入って、就職のときは雇用機会均等法があったから、就職も男性と同じ条件でしているわけです。仕事も同期入社のなかでも、男性を含めてもトップクラス。そんな人が出産と育児をきっかけに退場、となってしまう。それって、ものすごい損失ですよね。
まさに近藤さん自身も都内に住んでいて「日本死ね」みたいな状態になるわけですよ。「全然、預かってもらえない」「離婚しなきゃいけないんじゃないか」くらいまで追い込まれるわけです。だけど、そこまで追い込まれた方が流山に来たら、手を広げて「どうぞいらっしゃい」と言われた気がした、というんです。
―――迎えてくれてる気がしたと。
大西 それが近藤さんだけじゃなかったわけですよね。首都圏で同じ悩みを抱えている、男性と同等以上に戦ってきた女性、ママたちが流山に集結したんです。
――シビれますね。
大西 これは強いですよ。「エクセルできます」「プログラミングできます」「英語話せます」なんだったら「設計図も書けます」っていう、どこも欲しがるような人材が流山に集まってきた。
東京で働くと結局、保育園が見つからないから辞めないといけない、フルタイムで働けない、というような方々が、流山に来ると、駅前に送迎の保育バスがあって、フルタイムで働いて、時折少し残業になっても、連絡して「今日ちょっと遅くなります」とお願いすれば「大丈夫です、ご飯食べさせておきますね」って言われて。その優しさに涙が出た、と近藤さんは言っています。そこまでサポートすると、そういう方々が流山を拠点にバリバリ働きだして、何かが起こる。
――そうですよね。長期的には、そういう環境で育てられたお子さんたちも、大人になって流山でバリバリ働くことで、良い効果を生むことができる。
大西 本当にそうだと思います。
――あと、コロナ禍でリモートワークが発展したっていうのも、かなり大きな追い風になっているかもしれないですよね。
大西 そうです、いざとなったら都内まで30分で行ける。でも、ほぼほぼ、ここで完結する。この距離感はコロナ禍では絶妙だったなと思います。いざって時に2時間かかるってなっちゃうと……。
――現実的ではないですね。
大西 完全にリアル無しでやるっていうとこまではまだ来てないですから、そこまでメタバースにはなってない。だから普段はリモートでいいですよ、だけど大事な会議なときは来てねってときに、この距離感はいいですよね。そこは流山の地の利だったと思います。
――これは30年住んでいる大西さんだからこそ聞きたかったのですが、単純に流山のおすすめスポットを聞きたいなと思いまして……急にくだけた質問で申し訳ないんですが(笑)。
大西 いえいえ、なんでも聞いてください(笑)。そうですね、この近くでいうと、そこにできた「角上魚類」はチェーン店で鮮魚店なんですけど、新潟の寺泊港から、毎朝直送で魚を持ってくるんです。
――えー! 新潟から毎朝ですか!?
大西 そうです。それこそ田中角栄が関越自動車道を通したことで、新潟と東京が直結された。それまでは、新潟で採れた魚は新潟近辺でしか売れなかったのが、関越一本で東京まで来るようになった。この角上魚類にはすごい経営者がいて、関越なんで、まず埼玉に1店舗作ったんです。それが大繁盛して、じゃあ関越が外環自動車道でつながって、三郷まで来たから流山でも、ってことで店舗ができたんですけど、ここの魚は本当においしい。
――うわー、いいですね、覚えておこう。
大西 そこは切り身じゃなくて、まるのまんまの魚が置いてあって「このアジちょうだい、このサバちょうだい」っていうと、裏でさばいて、切り身にしてくれる。日曜日になると、角上渋滞ができるくらい。うちで手巻きをするときは絶対に角上魚類ですね。
――先ほど、市議会議員の方と秋元さんにお話しを聞きに行ったという話もありましたけど、この本で取り上げた方からリアクションはありましたか?
大西 いっぱいあります。最近で一番面白かったのが、日経の記者やっている頃の同期で、近藤洋介君という男がいて、民主党の衆議院議員になったんです。経済産業省の副大臣も務めたことある男ですが、地元の山形で米沢市長を目指してるんです。前回選挙は次点で、今年の統一地方選挙に出るんだけど、この本を読んで、流山を視察に来ましたね。
――政治家にも影響を与えている。
大西 車で流山を案内してあげました(笑)。「なんでそうなったのか聞きたい」って言うから、その場所まで連れて行って、全部説明して。うれしかったのは「こういうのを、まさに米沢でやりたい」って言ってくれたこと。米沢市も10年前までは10万人近くいたのが、今は8万人とかなんですよね。なんとかするために子育て世代を呼び込まなきゃいけないから。