以前までは東京の数あるベッドタウンのひとつに過ぎなかった千葉県の流山市が、ここ数年で脚光を浴びている。その理由は「母になるなら、流山(ながれやま)市。」のキャッチコピーで、6年連続人口増加率全国トップを記録しているからだ。

全国的に見ても少子化、さらに地方の人口減少が叫ばれるなか、流山市がなぜ増加率トップを6年連続で獲得できたのか。流山市在住30年、気鋭の経済ジャーナリスト・大西康之氏が、その背景に迫った『流山がすごい』(新潮社)が、昨年末に発売されて話題を呼んでいる。

「子育て中の共働き世代」に的を絞った政策で人口増加に成功した流山市。その裏には、さまざまな世代の人々の思いが詰まっており、それを丁寧で地道な取材で解き明かしたこの本は、政治や地方自治に興味がなくても、ひとつの良い映画を見たあとのような爽快な読後感がある。

今回のインタビューでは、著者の大西氏に流山の魅力、この本を書くことになったきっかけ、さらに裏話までを聞いた。

▲大西康之氏と流山おおたかの森S・C前で待ち合わせ

95歳にして記憶が鮮明な流山市の元市長

――この『流山がすごい』は、大西さんの本のなかでは、わりと異色のような印象があるのですが、大西さんが温めていたものなのですか?

大西康之(以下、大西) いえ、企画は僕の中には全くなくて、テレビ東京が『カンブリア宮殿』や『出没!アド街ック天国』で立て続けに流山の特集を組んだんです。それはおそらく、不動産シンクタンクの「住みたい街ランキング」で上位に入ったとか、人口増加率が全国市町村の中で6年連続トップとか、そういうデータから“流山で何が起きてるんだ?”となって取り上げられたんだと思うんです。

その番組をたまたま見ていた新潮社の編集者の方が“そういえば、流山に住んでた作家がいたなあ……”と。その方とは、彼が新潮の国際情報誌「Foresight(フォーサイト)」の編集長だった頃から面識がありまして。かなり前に「お住まいは?」「流山です」「どこそこ?」みたいなやりとりがあって(笑)。

――あはははは!(笑)

大西 そのとき、私は「柏の横で、松戸の上です」みたいな説明をして。テレビを見て僕の顔を思い出したらしく、電話がかかってきたんです。

「大西さんって、流山に住んでなかったっけ?」
「住んでますよ」
「どれくらい?」
「30年」
「あ、じゃあもう大西さんでいいや」

――すごくファジー!(笑)

大西 「いいや」って言われて、ちょっとカチンときたんですけど(笑)。「流山、最近すごいらしいじゃない、大西さんならチャチャっと書けるよね?」と。“チャチャっとなんて書けないよ”と思いつつ、でも確かに30年住んでたら書くことがないわけじゃないし、愛着もあるわけですよね。

――そうですよね。

大西 今、取材を受けている流山おおたかの森 S・C(ショッピングセンター)のあたりは、昔は森だったんです。夜になると1人では歩けないくらいの森。私は名古屋出身で、両親をこちらに呼んで、近所で暮らしていたんですが、父と母はこの森が気に入って、毎日散歩をしていたんです。

それが、つくばエクスプレスが通って、森がどんどん開かれていって、全くゼロの状態から、ここまでになるのを見てきたんです。

――つくばエクスプレスとショッピングセンターができたのは大きいと。

大西 そうですね、様変わりしたと思います。

――つくばエクスプレスの話が出てきたので、あわせてお伺いしたいのが、個人的にこの本を読んでいて一番ヒリヒリしたのが、第7章の「流山は1日にしてならず 角栄を口説いた男・秋元大吉郎」なんです。95歳にして、記憶が鮮明で、しかもパワフル。

大西 記憶がすごくクリアで驚きました。ついこの前も、この本が出たことをきっかけに、流山市議会の有志7~8人で秋元さんのところに勉強に行く会が開かれたんです。テーマは『流山がすごい』で「もう一度、この話を聞かせてください」ということで。皆さん驚いてました。「全部覚えているし、昔の市長ってこんなに頑張っていたんだ」と。

秋元さんが市長の頃の流山は、まだ人口が10万人くらいで、東京のベッドタウンとしては小さい部類。それこそ柏とか松戸とかに全然かなわない。そんな田舎の市長が、永田町に乗り込んで、あの田中角栄を相手に大立ち回りを演じる。すごい話ですよね。まだ、つくばエクスプレスが影も形もない頃から、流山に住んでいた人たちのあいだでは「秋元伝説」というのは、語り草なわけです。だから今、流山がすごくなって、今の市長の手柄みたいになっているけど、それだけじゃないんだよ、と。

――何十年も前から礎を築いた方がいるわけですよね。

大西 そうです。先人の苦労の上で成り立っているんだっていう、それを忘れちゃいかんぞって話は、流山のお年寄りたちがみんなしていたんでね。この本を書く前、私が行っている理容室のナオさんって方がいるんですが、その方が髪を切りながら、ふた言目には「大吉郎さんがいなきゃ、こんなふうになってないんだから」って言うんですよ。

私は「そんな人がいるんだ。でも、さすがに死んでるでしょ?」って聞いたら、まだ生きてますよと。「えー! 角栄に直談判した市長が生きてるの?」って、びっくりしましたよ。

――でも本当、タイミングもありますよね。それこそ、つくばエクスプレスの話を通したすぐあとに、角栄さんが倒れたことを考えると。95歳であれば、まず生きていることがすごいし、記憶を鮮明に話せるのもすごい。

大西 奇跡的ですよね。

――でも、角栄さんを相手に丁々発止で立ち回れるというのは、それくらいのバイタリティがないとできないですよね。

大西 記憶もそうですが、記録もすごかったんです。取材に伺ったら、分厚いファイルを持ってきて、つくばエクスプレスの誘致運動をした当時の記録が逐一、全部載ってたんです。市長として持っていた資料と、自分の日記。第一級の資料ですよ。素晴らしかったです。