SNSで投稿されたイラストが評判を呼び、ロフトやヴィレッジヴァンガードでのグッズ展開や、ゲームとのコラボで話題沸騰中の「やさしいおおかみ ウルフくん」。
こだわりを英語にするとSticking(スティッキング)。創作におけるスティッキングな部分を、新進気鋭のイラストレーターに聞いていく「イラストレーターのMy Sticking」。今回は作者である本間あきらさんに、「ウルフくん」誕生のいきさつや、こだわりのポイント、今後の夢までお聞きしました!
子どもの頃から「絵を描くこと」が好きだった
――幼少期はどんなお子さんでしたか?
本間 これと言って暗いわけでもなく明るいわけでもないという感じで。
――クラスの中心的存在でもなければ、友達がいないわけでもなかった?
本間 そうですね、勉強もずっと平均点くらいで目立つ人間ではなかったです。でも、美術とか、家庭科とかの副教科が大好きで。たまに絵を描いたりしつつ、放課後はテニス仲間と毎日テニスしてました。
――へー、テニスをされていたんですね。
本間 はい。絵を描いて、運動して、っていう日々を過ごしてましたね。
――絵を描くのはいつから好きだったんですか?
本間 それは物心ついたときから。ずっと描いてても飽きないんですよね。
――それは誰かに見せたりする目的で描いてたんですか?
本間 いいえ、自分が描きたいから描いてました。誰かに見せるわけでもなく。絵が上手になりたいってわけでもなかったんですけど、ただ好きで描いてました。
――本当に「絵を描くこと」がお好きなんですね。
本間 中学3年の頃の話なんですが、当初はテニス仲間と一緒に普通の高校に行こうと思ってたんです。けど、自分の得意科目をより高めたい気持ちがあり急遽、美術系の高校に行こうと決めて、中3の冬に急に進路変えました。
――中3の冬はギリギリですね!
本間 先生には怒られました(笑)。なので、友達とは別の高校に1人で受けに行きました。
――受験勉強は大丈夫だったんですか?
本間 私が受けた学校は特殊な学校で、試験がデッサンと面接だけだったんです。とはいえ、準備期間が短かったので、デッサンの練習を2回やっただけで試験本番に挑みました。
――たった2回で!
本間 面接もあるし、気合で乗り切れると思って(笑)。喋りでどうにかしようと思ってました。
――絵ではなく喋りで(笑)。それで合格したんですか?
本間 はい、その高校に入りました。
――すごい! その高校はどうでしたか?
本間 高校では3年間クラス替えがなく、ずっと同じメンバーで過ごしたんです。けっこう活発な子が多くて、授業が終わったら運動部の活動をする子がたくさんいましたね。私も硬式テニス部に入ってました。
――クラスメイトはライバルみたいな感じではなく?
本間 全然そんなことなかったですね。和気あいあいとしてました。今も仲が良いです。同級生のなかには今、漫画家をしてる子もいます。
――今も交流があるのはいいですね。その後は大学に進学されたんでしょうか?
本間 はい、美大に進学しました。
――大学でも変わらず、好きで絵を描いてましたか?
本間 大学時代はうまくなるために絵を描いていて、思うように描けなくて苦しくなったことはありましたけど、それはあくまでも“うまく描けない”ことがストレスだっただけで、絵を描くこと自体はずっと好きでした。それこそ「ウルフくん」のようなゆるいイラストは、ずっとノーストレスで楽しく描いてますね。絵を描くことを辞めようと思ったことは一度もないです。
――そこは一貫して変わらないんですね。
本間 大学を卒業して社会人になっても絵を描き続けたくて、本業は絵と関係のないことをやりながら、アートイベントに参加したり、個展を開いたり、ちょこちょこ活動してました。
――大学を卒業して、すぐに「絵一本で食べていくぞ!」とはならなかった?
本間 全然そんな気はありませんでした。イラストレーターにはなれないと思ってましたね。
――それはなぜ?
本間 やっぱり、絵だけで食べていく人は一握りだと思ってたので、自分がそうなれるとは思っていませんでした。
――デザインなどの絵を描く会社に就職しようとは思わなかったんですか?
本間 そういう仕事に就くと、自分の好きに絵を描けなくて、描くことが嫌いになってしまうのもイヤだと思って、全く別の業種に就職しました。自分の好きなように絵を描いて、その作品を見ていただきたいという気持ちが強かったです。
――自由に描けないことへの怖さがあったんですね。