コロナ禍で苦しむ「祭り人」としてのテキヤ

テキヤは人間交差点であり、思わぬ人間ドラマもある。以下は、『テキヤの掟』に登場する元人形師のエピソード。

深川を拠点とするテキヤの娘として生まれた宮田氏。父親が亡くなってから人形を作り始め、試行錯誤しながら縁日で商売をしていった。すると、次第に常連さんができるようになり、さまざまな“ご縁”を感じることがあったという。

「浅草で商売をしていたある日、人形の作り方を教えてほしいと美大生が訪ねて来たことがあったそう。そのときは難しいことは伝えられなかったそうなのですが、10年後に子どもを連れて再び現れた。今は有名企業に就職して人形を作っている、私の人形との出会いが仕事を決めるきっかけになった。10年ぶりに再会できてうれしかったと言っていましたね」

元美大生からはその後、手紙も送られてきたという。

祭りという非日常の空間で出会うテキヤと客、刹那的な場所ではあるが、後年まで関係が続くこともあるのだ。

▲コロナ禍で苦しむ「祭り人」としてのテキヤ イメージ:ごんちー / PIXTA

しかし、いい話ばかりではない。現在テキヤが置かれている状況は厳しそうだ。

「今は振り出しに戻ってしまった感じですね。コロナがあった3年間は祭りができなかった。このタイミングでテキヤを廃業してしまった人も多いのでは。また祭り自体もかなり規模が小さくなってしまっています。去年、東京の祭りを見て感じました。現在のテキヤの数は、かつての3分の2あるかな、といったところでしょうか。若い人のなり手も少ないです」

コロナ禍の影響でキッチンカーに業態変更したテキヤもいる。狭いスペースでの調理ノウハウなどがいかされるのだろうか。キッチンカーとテキヤでは商売場所が違うので、トラブルになったりということもなさそうだ。ちなみに、元テキヤのキッチンカーは雰囲気や言葉遣いが違うので、廣末氏は一目見ればわかってしまうのだとか。

コロナ禍とは違う逆風もある。ホワイト化の流れと、当局の締め付けだ。

先ほど名前があがった大和氏は、テキヤ組織の事務局長を務めた人物だが、副業として建築業も営んでいた。しかし、暴力団排除条例ができた2010年前後から何もかも変わってしまった。自治体から建設業許可の取り消しをされ、取引先からも契約を解除させられてしまったのだ。

「テキヤはグレーなものではない。認識を本書の出版で正したい」と廣末氏は言う。

トーヨコキッズよ、テキヤに行け?

それでは、テキヤの存在意義はどんなところにあるのだろうか。一つが「祭り人」としての存在感で、テキヤがいない祭りは盛り上がりに欠けてしまうだろう。そして、商売をするだけでなく、警備や交通整理、掃除まで行うなど、祭りの秩序を保つ役目も持っている。

もう一つが、社会からこぼれ落ちてしまった人たちの受け皿にもなるということだ。

廣末氏自身、10数年前テキヤのアルバイトに応募したときは、うつ病をわずらっていて寝たきりに近い状態だったという。そこから求人誌に掲載されていたテキヤに応募し、社会復帰の足がかりとした。

「良い意味でどんな人でもなれるのがテキヤです。私が働いていたときも、さまざまなバックグラウンドを持った人が周りにいました」

行き場をなくした若者たちには、こうアドバイスする。

「グリ下(大阪・グリコ看板近くのたまり場)やトーヨコ(東京・TOHOシネマ近くのたまり場)に行くぐらいならテキヤに行けと言いたいですね。とりあえず食べるものも、寝るところもあるぞ、と」

食事は隣近所の店から差し入れがあり、正式な一員となれば住む場所も用意されるので、裸一貫でできる。一度入ったら抜け出せない世界でもなく、むしろ金が貯まったら、どんどん辞めていけという空気もあるそうだ。

廣末氏のお話を聞いて、社会的な器としてのテキヤの姿も見えてきた。

▲トーヨコキッズよ、テキヤに行け? イメージ:genki / PIXTA