1970年代から80年代にかけて放送された、テレビ朝日の水曜スペシャル『川口浩探検隊』。俳優の川口浩が、世界を股にかけて未知の生物や未踏の秘境に挑む番組。多くのシリーズが作られ、後年、DVD化されたり、俳優の藤岡弘、を隊長とした『藤岡弘、探検隊シリーズ』が作られたりと、テレビ界に大きな影響を与えた番組だ。
当時からヤラセや過剰な演出が囁かれた『川口浩探検隊』について、この番組の「真実」を捜し求めるノンフィクションが、先ごろ出版された芸人のプチ鹿島による『ヤラセと情熱 水曜スペシャル「川口浩探検隊」の真実』だ。
新聞14紙を読み比べ、スポーツ・文化・政治と幅広いジャンルからニュースを読み解くプチ鹿島が、プロレスと同じくらい大好きな「川口浩探検隊」について、情熱を持って切り込んでいる。単なる懐古主義で終わってほしくない、という同著に込められた思いについてプチ鹿島本人に聞いた。
原始猿人を発見したのに…なぜ新聞に載らないの?
――個人的には世代ではないのですが、この『ヤラセと情熱 水曜スペシャル「川口浩探検隊」の真実』はEX大衆での連載から読んでいました。鹿島さんの著作は『教養としてのプロレス』も拝読しており、今回は鹿島さんの丁寧な筆致で、テレビの演出とヤラセの境界線を描いていて「川口浩探検隊」という元ネタを知らずとも楽しめました。まず、連載から数えて8年を経て、書籍化に至った経緯を教えてください。
プチ鹿島(以下、鹿島) 今おっしゃっていただいた『教養としてのプロレス』というのを、同じ双葉社さんで、同じ編集者、この本にも登場しますが編集のクリタさんと仕掛けたんです。出版当初から反響があったのですが、時間が経ったあとも『アメトーーク!』の読書芸人回でオードリーの若林さんが紹介してくれたり、本文中でネタにした小林よしのりさんが面白がってくれたり、かなり大きな波になったんです。
そのとき、僕がワールドプロレスリングやアントニオ猪木を同じぐらい熱量を持って見ていたものとして、クリタさんと川口浩探検隊の話を普通にしていました。
――なるほど。鹿島さんのなかで、プロレスと同等に大切なものが川口浩探検隊だったと。
鹿島 そうです。この2つは少年時代に熱狂的に見ていた番組であり、もう一方で何かこうコンプレックスを抱いて、それをずっと自分の心の中で大事に熟成させていた二大物件だったわけです。
――コンプレックス、この本の冒頭にも書かれていたことですね。
鹿島 はい。川口浩探検隊が原始猿人を捕獲したのに、放送翌日の新聞には一切そのニュースは載っていない。アントニオ猪木がタイトルを防衛したのに、放送翌日の一般紙のスポーツ欄にはそのニュースがない。この2つはイコールだったんです。
――原始猿人のニュースがどこかの新聞に載ってないか、一般紙を図書館で読む鹿島少年が健気でした。
鹿島 そうなんですよ。そのうち徐々に気づくわけですよね、自分が熱心になって見ているものは、世の中の大人は本気で見ていない、もしくはニヤニヤ冷笑しながら見ているものだ、ということに。周りの同級生も大人になるにつれてそうなっていく、それが本当に悔しかったんです。
あの時代は、今みたいにSNSがなくて、発信の場がないわけですよね。そうすると熟成させていくしかない。今こうして大人になって、ありがたいことに発信させてもらえるようになって始まったのが、EX大衆での『プチ鹿島の「川口浩探検隊」探検隊』だったわけです。
――連載は2015年から2019年まで続きました。
鹿島 連載は月イチだったんですが、あの番組に携わった元隊員、ADさんたちは、今もなお業界にいるとしたら、当然、出世しているだろうという推測がありました。その方のキャリアのなかで、川口浩探検隊というのはどういう位置づけだったのか、単に仕事のひとつだったのか、面白かった仕事だったのか、イヤな仕事だったのか、今のテレビマンとしてかなり影響力のあるものだったのか、聞きたいことがたくさんあったんです。
2019年で終わったのは、連載当初から「書籍にしよう」と言っていただいたので、連載では未公開部分の整理をしなくてはいけなかったのです。
――そこから3年かかったんですね。
鹿島 膨大な未公開のインタビュー音源の精査、そして後半は水曜スペシャルを飛び越えた話になっていくわけですが、そこの取材で3年かかってしまいました。
「みんなはどこまで喋ってるの?」の意味
――この本、金言がたくさん載ってると思ってて、特にラストに出てくるある方のお話は、シビれました。個人的に気になって、いろいろ調べたんですが、この本以外ほとんどネットで名前を見かけない。
鹿島 御本人も「取材は断ってきた」と言っていました。「本を書いてくれ」って依頼もかなりもらうけど断っていると。この方も含め、元隊員の方々も、取材要請というのはここ20~30年で幾度もあったと思うし、書籍化の機運もあったと思うんです。それでも皆さん話さなかったというのは、単にネタとして消費されてしまうことに対しての抵抗、そして隊長の川口さんがお亡くなりになっているので、茶化したような企画では話せない、というのがあったのだと思います。
僕は、川口浩探検隊は過小評価されていませんか、ネタとして笑われているのが悔しい、僕はハラハラして見ていたし、僕以外にも影響を与えた番組です、ということをお伝えしたら、“それなら”ということで引き受けてくださいました。
――放送作家を志している方には見ていただきたい番組ですよね。
鹿島 この本では、探検家でノンフィクション作家の高野秀行さんにも取材しているんですけど、実際に高野さんは川口浩探検隊を見て探検家を志しているんです。やっぱり誰かしらすごい人に影響を与えている、というのは最初のほうで確証が取れたので、自分の中ではそこも大きかったですね。
――この帯の「みんなはどこまで喋ってるの?」というのは、最初はすごくネガティブに取れるんですけど、読むと、必ずしもそれだけじゃないっていうのがわかる。川口さんが墓場まで持っていったなら、自分が勝手に話しちゃいけないって意味の言葉だって気づくんです。この切り取り方が鹿島さんの優しさだな、と思いました。
鹿島 隊員の方々と何人もお会いしましたが、青春の思い出として明るく話してくださる方もいれば、今だから話すねって方もいるし、一方で探検隊に関わった自分は、今テレビ業界に関わっていいのだろうか、と少し胸にチクチクを抱えている方もいらっしゃいました。
ただ、タイトルで「情熱」と書きましたが、皆さんいろいろな思いを抱えながら、共通して持っているのは「情熱」なんです。“あの時あの現場に情熱はあった”って確証が取れたので、情熱って入れたんですが、あの頃は楽しかったなだけじゃなく、未だに思い悩んでいる方もいる。でも、そのグラデーションこそが人間だと思うんです。だからやっぱり、そういう意味ですごい番組だったなと。