物心ついた23歳、本当に好きだったのは物作り

もうやり尽くしたし、行きたいところもない。
そう思うくらい、後悔なく遊びまくった20〜23歳。

当時は、お金もないのに後先考えずに行動して、リスクも一切恐れずに気のむくまま。でも、海外で危険な目にあったり、無意識な無謀を続けていくうちに、何とかなるっしょ! ではなく、このままだと何ともならないことが起きるかもしれない……と思うようになったんです。

そこで湧き上がったのが「怖い」という気持ち。それまで1ミリも感じることがなかったのに、一度怖いと思い始めたら何もできなくなる。

お互い高め合っていた地元の友達や横浜ギャルズも、それぞれの人生を歩み出そうとしている。私もそろそろ、私の道を歩き出さなきゃ。

自分でお金を稼いで自立する。そのためにお仕事をしよう。

23歳で、やっと芽生えた自我。
このとき、ようやく物心がついた(遅っ!!!)。

ずっとずっと、明日死んでもいいや、イエーーイ!!って感じだった。
その私が「めちゃくちゃ生きたい!」と思い始めたのです。

幼稚園の宿題と初期衝動

子供の頃から好きだったのが絵を描くこと。

絵を描くルーツ的なエピソードといえば、幼稚園のときの絵の宿題。「自分が好きなものを描きましょう」というお題のもと、私が選んだモチーフは、ずっとキレイだなと思っていたお父さんが持っていたエッチな本。

日本モノから海外モノまで、オールジャンル揃っていた我が家のコレクション。その中から好きなものをピックアップして一生懸命に描いて、いざ提出。

結果、幼稚園から親子で呼び出しを食らうことに(笑)。

その帰り道、絶対に怒られるんだろうなと思っていた私……。しかし、お父さんからは「女性の裸の描き方はああじゃない」というダメ出しが。そこ!?(笑)。

まさかのお父さんの返答に驚きつつも、そうか、あの描き方じゃないんだ……と絵の描き方を工夫するようになった。

幼稚園から呼び出しをされる父とBABI 画 : BABI

小学生になってからの楽しみのひとつが、家でゆきよと映画を観ること。ホラー系を中心に、6〜8時間かけて2〜3作品を観るのは当たり前の毎日。私もゆきよも、ホラー映画ならではのエログロな世界観に「可愛い! カッケー!」と大興奮。そのうち制服に血糊をつけて写真を撮ったりして遊ぶように。

その経験によって、何となく自分が表現したい世界観がみえてきたのかも。

中学生になると、スクールバッグに修正ペンで絵を描きはじめ、友達からも私のバッグにも描いてと頼まれるように。そう、クラスに必ず一人いた「絵が得意な子」というポジションを確立したのです。

やがて、校内の絵のコンクールでも金賞や銀賞の常連に。絵が好きな女子生徒キャラだった自分としては「賞レースは絶対に獲るっしょ!」と意気込んで臨んでいました。

高校生・ギャル時代は、友達をチェキで撮影したり、プリクラの落書きを担当。とはいっても、純粋にみんなのため、みんなを可愛く残したい、という思いでやっていただけなんです。

そう、ずっと絵を描いたり写真を撮ったりしてきたけど、決して上手いわけじゃなく、むしろ下手。ちゃんと習ったことがないので、技術はまったくない。今思えば、美大とか行って勉強したかったな。今でも、下手なりに上手くなりたいって気持ちはあるから。

でも、あの頃はそんなことより、とにかく遊びたかった!