近年、芸人が執筆したエッセイ本を見かける機会が増えた。普段は私たちを楽しませてくれる芸人の意外な一面が見れたり、同じような悩みを抱えていたりなど、いろいろな発見に出会えることが人気の秘訣なのかもしれない。

ランジャタイの国崎和也が執筆したQJWebの大人気連載「ランジャタイ国崎のっ!!『キャハハのハッ☆』」をまとめたエッセイ本『へんなの』(太田出版)が2月17日に発売された。国崎といえば、予測不可能なボケを連発する印象が強く、イマイチ掴みどころがないミステリアスな存在である。そんな謎だらけの国崎の素顔に迫るためインタビューをしてみた。

▲ランジャタイ・国崎和也インタビュー

投げ銭が欲しくて始めたnoteがキッカケ

――コラム「ランジャタイ国崎のっ!!『キャハハのハッ☆』」の連載を依頼された経緯を教えてください。

国崎 もともとはコロナ禍で暇だった時期に、伊藤(オズワルド)がnoteでいろいろ書いていて「投げ銭がもらえるので儲かりますよ」って教えてくれたんです。それで自分もnoteで書くようになって、それキッカケで連載の話しをもらいました。

――投げ銭はもらえたんですか?

国崎 いやー、それが最初に“投げ銭をもらえない”設定にして、記事を投稿してしまったんですよね。あとからそのミスに気づいたのですが、これまで投げ銭ナシだったのに急にアリに変更するの不自然なので、そのまま書き続けました。

――急に変更できないですもんね(笑)。でも、最初は投げ銭目的だったのに、お金にならないなかでも書き続けられたモチベーションは?

国崎 なんなんでしょうね。全然覚えてないんですよね(笑)。

――なるほど…(笑)。では「これを連載しましょう」って話が来たときはどうでしたか?

国崎 「月に1本書けばOK」という話だったので、すごく楽にやれたのでありがたかったですね。

――楽にやれた、というのが国崎さんらしくていいですね(笑)。そして、連載開始から早くもこうして本になったのは、うれしかったんじゃないですか?

国崎 うれしいですね。なにより、大ファンだった漫☆画太郎先生の漫画を載せてもらって。しかも、僕が一番好きな話を掲載してもらえたので本当に夢が叶いました。これ、秋田書店の作品なので、普通だったら難しいと思うんですよね。太田出版の副社長が、前に画太郎先生の担当をやられていたらしくて、その縁もあって実現したみたいです。

――この本が売れた場合は2冊目の依頼も来そうですが……。

国崎 いえいえ、1冊出せたのでそれだけで満足です。これで終わりです!

芸人になった頃に出会ったインチキな人

――担当者の皆さんが苦笑いしていますが……(笑)。本の内容についてお聞きしたいんですが、幼少期や学生時代の思い出が多く載っていますよね。執筆中はどういったことを考えていたのですか?

国崎 昔って“インチキな人がいっぱいいたな~”って思いながら書いてました。「たまごっち」の偽物をたまごっちと称して売ろうとするおもちゃ屋とか、ミニ四駆の大会でイカれた性能のモーターを使う人とか思い出しましましたね。

――たしかに、世代が近いとあったなーと思い出す箇所が多くて、面白かったです。なんとなく国崎さんの場合、いろんなインチキな方々と出会ってそうな気がするんですが、この本には載ってないインチキな方の思い出はありますか?

国崎 ありますね。芸人になった頃に『踊る!さんま御殿!!』(日本テレビ系)の作家をやっているらしい人のネタ見せに、エントリー費を払って出ていました。その人のお眼鏡にかなえば、テレビやライブに出られるみたいな。でも、本当に作家をやっているのか真相は定かではなかったです。いま考えるとインチキですね。

――あははは! それは途中でおかしいと思わなかったのですか?

国崎 田舎から出てきたばかりだし、お笑いの世界もよくわからなかったので……。ただ、一度、どこかの会議室を借りるわけでもなく、会場費をケチって二子玉川の河川敷でネタ見せを開催したことがあって、さすがにそこで見切りをつけました(笑)、この人インチキだなって。

――それは絶対…(笑)。でも国崎さん、そういうインチキな人への恨みつらみはあまりなさそうですね。

国崎 そうですね、いい思い出です。

――そもそも国崎さんが怒ることってありますか?

国崎 怒らないですね。……一度だけ、両親を目の前で殺される夢を見たとき、その殺人鬼に向かって「こらっ!」って怒ったことがあります。

――「こらっ!」ってずいぶん軽いですよ!? 窓ガラス割られたくらいの反応…!(笑)

国崎 ですね。そのとき「自分って怒ると『こらっ!』って言うんだ…」って思いました(笑)。

▲怒っているところは想像すら難しい…