時は2000年代初期。インターネットが普及し始め、スマホではなく“ケータイ”だった頃、身長が180cmを超えながらスポーツが嫌いで、難しい地名を知ることが楽しみな漢字オタクの小学生がいました。あだ名は「アンドレ」。これは、そんな少年が東北の風景の中でプロレスを通じ経験し、人生を学んだひと夏の物語です。
万念先輩からの叱咤激励
登米からバンで合宿所へ向かう間、ぼくと万念先輩は一度も会話を交わさなかった。やっぱり、不意打ちを食らった形で負けたことを怒っているのか。
怒っているといえば、万念先輩以上に怖い顔をしているのが井之上先輩だった。最初はどうしてだろうと思ったけれど、入ってたった数日の後輩が先にデビューしたら、気分がよろしくないのも当然。
「日向が出られなくなったら、代わりは俺だろ。俺の方が何百倍も練習してきたのに、なんでプロレスのプの字も知らないやつが先に…」
井之上先輩の顔に、そう書いてある気がした。ようやくみんなと打ち解けてきて車内の雰囲気もよくなりかけたのに、こんなことで気まずくなるなんて…ぼくと万念先輩に限らず、合宿所へ着くまでみんなほとんど黙ったままだった。
「明日も早いからすぐに寝ろよ!」
そう言い残して、宇佐川さんは合宿所近くの自宅に帰っていった。時計は夜中の1時を過ぎていた。みんなで荷物をおろしたあと、ぼくと万念先輩は部屋に入る。
2人っきりになったところで、しばしの沈黙。万念先輩は、二段ベッドの下…つまり、ぼくの布団に転がった。そして上を見つめながら話し始めた。
「今日の試合さ、気にすることないから。油断した俺の負けだ。でも、先輩たちに言われたと思うけどこれで勝ったと思って浮かれていちゃダメだぞ。
おまえが先にデビューしたことで、日向や井之上が強く意識してくる。まだ若手と言われている菅本さんだってそうだ。そういうのに負けないよう頑張れよ。俺も次は絶対に負けないからな」
「万念さん…すいませんでした!」
謝る必要がないのはわかっていたのに、言葉を聞いているうちにぼくは頭を下げていた。万念先輩は、それに答えることなく飛び起きると、二段ベッドの上に登り「明かりを消してくれ。おまえも早く寝ろ」と言うと、無言になった。
前夜は3時間も寝ていなくて、営業で動きまわった上にいきなりのデビュー戦…とんでもない一日だっただけに死ぬほど疲れていた。本当は一秒でも早く布団に入りたかったが、ぼくはすでに寝入った万念先輩に気づかれぬよう、部屋を出た。
足音をたてず2階から下の居間に降りていく。そこには、合宿組のみんなで使うパソコンが置いてある。
ぼくは、今晩のうちにアンドレ・ザ・ジャイアントのことを調べておきたかった。デビュー2戦目がいつなのかは聞いていなかったけれど、もしかすると明日も試合に出ろと言われるかもしれない。だから、早いところ知る必要があると思った。
地名の読み方を確認する時と同じように、ヤフー検索へ“アンドレ”“ジャイアント”と入れてみる。さすがに詳しいプロフィールはいくらでもヒットする。
アンドレ・ザ・ジャイアント――1946年5月19日~1993年1月27日、フランス出身。身長223cm、体重236㎏。
プロレスラーになる前は木こりをしていて、山中にいるところを発見されたという逸話が有名だが事実ではない。入場テーマ曲は『ジャイアントプレス』。ニックネームは人間山脈、大巨人、ひとり民族大移動。
いろいろ書いてあったけれど、簡潔にまとめると「強すぎて相手がいない」「ケタはずれの売れっ子で、ギネスブックに載るぐらい稼ぎまくった」「イメージを守るため、怪物的な怖さをリング外でも貫き、ファンを寄せつけなかった」といったところ。選手としての実績のページには6つの獲得タイトル名が並んでいた。
無敵の存在のわりには意外と少ないなと思ってほかのサイトに飛んでみたら「強すぎるがゆえ挑戦を受けてもらえなかった」とあり納得。そして動画もヒットする。そこでぼくは初めて人間山脈さんが闘う姿を見た…こ、これは、デカすぎる!!
観客やレフェリーと比べると相手のプロレスラーもぼくより大きいはずなのに、さらに頭2つ分か3つ分上に顔がある。しかも髪はパーマをかけた、いわゆる“鳥の巣ヘア”のため、さらに膨張して見えた。
いくらぼくも背が高いといったところで、全然比べ物にならない。実際、38cmも違うのだから。
客席や相手に向かって象のような太い声で吠えたり、リングに上がる時は一番上のロープを軽々とまたいだり…ぼくが今日一日で言われたアドバイスや聞いたことの意味が、次々と理解できていく。
ラリアットとかバックドロップとか、ぼくでも知っているようなプロレスの技はまったく出さず、つかまえては背中にパンチを振り降ろし、飛びかかってくる相手に足を振りあげて吹っ飛ばす。そして上に乗れば体重で圧殺してしまう。
ぼくは、これをやれと言われているのか。いや、それ以前にこんなとんでもない人となぞられていたんだ。もしも楢葉の体育館に東北プロレスを見にいかなかったら、ずっと勘違いしたままだった。クラスのみんなも、ニヤニヤするはずだ。
それにしても困った。ファンなら誰もが知っているほどの大物と同じに見られたって、期待に応えられるはずがない。何しろぼくは、デビューしてしまった今もプロレスラーになる気などなかったし、小学校に通わずこのまま続けるのも不可能だ。
とりあえず夏の巡業中、何回試合が組まれるか知らないけれど、その間はできるだけ“アンドレ”になろう。そして、はっきりとタスケさんや運命さんに本当のことを伝えよう。
今ならぼくを見た人も東北のお客さんに限られている。東京をはじめとする全国のプロレスファンが知る前にやめればいいんだ――。