軍隊と聞くと「上からの命令は絶対」という印象があるかもしれませんが、近年では、前線の兵士が上位レベルの戦略の意図をくみながら、自主積極的に動いて戦術を展開していく「ミッションコマンド型」が重要視されている。陸上自衛隊の西部方面総監を経験した小川清史氏が、若手幹部時代の失敗から学んだことを紹介します。

※本記事は、小川清史:著『組織・チーム・ビジネスを勝ちに導く 「作戦術」思考』(ワニブックス:刊)より一部を抜粋編集したものです。

チーム作りに失敗した苦い思い出

私は1980年代後半、長野県の松本駐屯地に所在する第13普通科連隊で、レンジャー教育隊の教官を4年ほど務めていました(そのうち主任教官3年)。20代後半の頃で、陸上自衛隊幹部に任官してから数年しか経っていない時期でした。

レンジャー教育隊は、集合訓練という形式で教育を行うためのアドホック(特定の訓練のために臨時編成される目的限定)な組織です。

教育する側として参加した隊員は、主任教官である私のほかに、各中隊〔大隊と小隊の中間に位置する、約200名の隊員からなる部隊〕から選りすぐりのレンジャー徽章を持つ陸曹約20名。年齢は26歳くらいから45歳くらいまでで、私の部下になる者は全員年上でした。普段から顔を合わせていた隊員ではなく、教育隊を立ち上げてから、お互いを知ることになったという間柄です。

一方、教育を受ける側の隊員は、年度により差がありましたが、希望者および命令によって参加する1士から3曹までの20名から30名ほどでした(※)。

※自衛隊には全部で16の階級(2士~将)が定められています。「幹部」は、3尉以上の自衛官のことで、部隊の骨幹として、強い責任感と実行力で部隊を指揮する立場にあり、卓越したリーダーシップが必要とされます。「曹」(3曹から曹長までの4階級)は、専門分野における技能を有するほか、「士」(士長から2士までの3階級)を直接指導し、幹部を補佐する立場にある者。士は、曹などの指揮下で各種の任務を直接遂行する立場にある者です。曹と士の人数を合計すると、自衛官の定員の約8割に及びます。曹の役割については、従来から、小部隊のリーダー及び専門分野に精通した技能を有するものであるとともに、士を直接指導し、幹部を補佐する部隊の基幹要員として位置づけられています。その資質・能力は部隊の精強性等に大きな影響を与えます。さらに、任務の多様化、装備の高度化に伴い、より高い専門性が要求されることから、曹としての任務遂行に必要とされる高い能力が求められています。(参考:防衛省HP)

主任教官になった最初の年は、張り切っていたこともあり、何事もすべて自分ひとりで決めて、教育する側の陸曹20名に対して、ひとりずつ教育方針などを指示・指導をしていました。

しかし、そのやり方で一人ひとりに指示しても、自分の意志を組織全体にはうまく徹底できず、組織としてのまとまりを感じることもありませんでした。全体的にチームワークがなく、常にバラバラだったという記憶があります。

そのときは自分で理解できていなかったのですが、経験の浅い若手の幹部の私が、ベテランの陸曹〔それぞれレンジャー教育の経験が2~10年以上あり、日本アルプスでも行動する山岳レンジャー隊員だった〕に対して上滑りな指導をしてしまい、ベテラン陸曹の自尊心をも傷つけていたのだと思います。主任教官として全体的な方向性を示すこともできていませんでした。

はっきり言ってしまえば、主任教官として失格であり、組織づくりに“失敗”してしまっていたのです。

▲レンジャー教育・山地潜入訓練(第17普通科連隊・山口) 写真:陸上自衛隊HPフォトギャラリー

小さな努力で成果をあげられる組織への“脱皮”

翌年は前年の失敗を反省し、なぜ自分の意志が組織に徹底できなかったのかを考えてみることから始めました。そして、自分ひとりで約20名の陸曹に個別に指導するやり方を変えてみました。

すなわち、私から見て「中間管理職」の適性があり、階級も陸曹の上位(2曹~1曹)にある者を3名選出して「副主任=先任助教」(助教:教官の補助者としての位置づけ)のようなポジションに任命し、残りの約17名の陸曹を副主任3名の下に5~6名ずつ「助教」として配置する3個編成の教育チームにしたのです。

そして、全体ミーティングの前には必ず、その3名の副主任と打ち合わせを行い、私の考えを伝えたうえで意見交換を行い、私の考えが中間管理職である彼らを通して、教育チーム全体に浸透することを心がけました。

また、全体ミーティングでは、私は全体の方向性を伝えることに焦点を置き、具体的な実行要領は各助教に直接言うのではなく、彼らの直属の上司となる副主任から指導徹底してもらうようにしたのです。

▲レンジャー教育(第44普通科連隊・福島) 写真:陸上自衛隊HPフォトギャラリー

すると、まず副主任の3名が「ミッションコマンド型の部下」へと“脱皮”しました。

中間管理職としての責任感と指導役という任務を与えたことが、彼らの自主積極性を引き出すきっかけになったのでしょう。

また、彼らの部下となった助教たちも、少人数制チームで上司の指導が徹底されやすい環境になったこと、およびチーム内で意見交換が頻繁に行われるようになったことなどから、結果的に上司の意図を理解して動ける「ミッションコマンド型の部下」へと“脱皮”していったのです。

私は私で、直接指導する人数が約20名から3名に減ったことから、時間的にも精神的にもゆとりが生まれ、じっくりと組織全体を把握して、主任教官として全体の方向性を考える余裕ができました。

この若い頃の経験で学んだことは、「より小さな努力で、より成果を得られる組織」をつくっていくことの重要性です。当時は個人の経験に基づく「暗黙知」でしたが、その後さまざまな経験や学習を通じて、自分なりにチームビルディングのノウハウを言葉で理論的に語れる「形式知」にしていくことができました。