大物たちの名誉を守るため「行政改革」の名のもとに活動が縮小された内閣情報調査室。出向者ばかりの「寄せ集め集団」の幹部が起こした政界のスキャンダルとは? 長年にわたり極左問題を第一線で取材してきた福田博幸氏が、日本を蝕む「内なる敵=極左」と戦い続けてきた政府機関の真実に迫ります。

情報機関のトップにふさわしくない室長たち

日本では戦後まもなく「帰還兵」という名のスパイが、官庁や企業など各方面に大量に潜り込み、「反日の尖兵」として日本を内部から蝕んできました。これに対抗すべく、1952(昭和27)年4月9日に創設されたのが、内閣情報調査室です。

当初の内調には、インテリジェンス機関の“核”となるプロパーの職員が存在し、警察官僚とも異なる独特の人脈とアンテナを持っていました。大手新聞社にもアンテナを張りめぐらせていたようです。

しかし、政界・財界・官界で名を残し、大物になった人たちからすれば、“過去を知る”内調は煙たい存在だったことでしょう。次第に「行政改革」の名のもとに内調の本来の活動は縮小され、プロパーの解体作業も進められました。

大物たちの名誉を守るために、インテリジェンス機関は“生贄”にされたのです。

現在、警察や公安調査庁などからの出向者による血の入れ替えによって、内調プロパーの初期の“志”を知る人はほとんどいません。しかし、情報機関にとっては本来プロパーが理想です。なぜなら、2〜3年で出向を繰り返す“腰かけ”では信頼関係を基本とする専門の人脈も知識も築けないからです。本省に戻りたいという気持ちでは保身に走り、本気の仕事ができません。

「腰かけ意識」幹部の弊害を物語る典型的な2つの事例を指摘します。

<事例1 警視総監から国会議員にまでなった下稲葉耕吉>

下稲葉耕吉は安倍晋三元総理の父・晋太郎と東大の同期です。福田赳夫内閣下で番頭役を務めた安倍晋太郎は、政局安定の目的で学生時代から信頼していた下稲葉を内調室長に働きかけて登用しました。しかし、警察官僚としてトップを目指していた下稲葉は、それが迷惑だったようです。警察官僚にとって内調室長のポストは出世ラインから外れてしまうからです。

▲下稲葉耕吉 写真: 首相官邸ホームページ

下稲葉は、安倍の心意気に感ずることなく、逆に本来のラインに戻るための工作をします。福田の政敵である田中派に助けを求め、警察官僚だった後藤田正晴に泣きつきました。福田は現職総理でありながら内調室長の裏切りもあり、総裁選で負けます。

下稲葉は警察官僚の出世ラインに戻り、のちに警視総監となり、国会議員まで上りつめました。自己保身はあっても、国家観なしの人でした。これでは国家の安全を託す内調のトップには不適格です。

▲内調の組織図 出典:内閣官房ホームページ

<事例2 インテリジェンスの専門家として著書まである大森義夫>

手柄を上げることばかりに執着する大森義夫が室長だったときに、内調の内部資料がマスコミに流出しました。のちに犯人は大森自身とわかりましたが、まったく危機管理に欠ける室長でした。

橋本龍太郎内閣での話です。厚生族のドンだった橋本は、対中国ODAの医療衛生分野で深くかかわり、たびたび中国を訪問しています。1988(昭和63)年当時、中国諜報機関は、将来性のある橋本を確実に取り込むため、常套手段として美人諜報工作員を衛生部に配属して橋本の通訳を命じました。この女性通訳が橋本を籠絡し、通称ハニートラップとして肉体関係を結ぶのに時間はかかりませんでした。

▲橋本龍太郎 写真: 首相官邸ホームページ

この「女性工作員カード」は、10年後に中国諜報機関によって突然使われました。マスコミにリークされ、“時の総理の下半身スキャンダル”として内閣を襲ったのです。「中国の傀儡政権」とまでいわれた「自社さ」連立による村山富市政権のあとを受けて誕生した橋本内閣に対し、中国は強い警戒感を抱いていたのです。

橋本総理の“下半身スキャンダル”が大々的に報道される1年前、その伏線がありました。『週刊文春』に“橋本総理と中国女性工作員との関係”という情報が持ち込まれていたのです。中国の諜報機関が、公安ものの小説を得意とする小説家Aを通じて、文春側に意図的にリークした情報でした。

「10年前から、あなたと付き合いのある女性通訳は諜報工作員なんですよ。知られてもいいのですか」という橋本に対するメッセージが込められていました。この時点では、リークによって橋本総理サイドにブラフ(脅し)をかけるだけでいいと中国側は考えていたようです。

中国側の狙いどおり、総理の下半身スキャンダル情報は文春側から内調に伝えられました。情報を得た大森室長は、文春側に懇願して記事を止めることに成功します。ところが、大森室長は、それが文春側から得た情報であることを隠し、自分が独自に入手したかのように偽って橋本に報告し、自分の手柄にしてしまいました。橋本が大森を高く評価し、信頼したことはいうまでもありません。

しかし、ブラフの効果がないと判断した中国諜報機関は1年後、再び『週刊文春』にリークします。その結果、「工作員女性の元夫の証言」というコメントつきで“時の総理の下半身スキャンダル”として大々的に報道されることとなったのです。

橋本は大森しか知らないはずの情報が週刊誌に報道されたことで、とっさに大森のリークだと判断しました。怒り心頭に発した橋本は大森を𠮟責しました。大森は一夜で信用を失墜しました。

情報提供者や協力者を大切にしない情報官僚では、協力者と信頼関係を築くのは無理です。

内調室長としては完全に“失格”です。大森は警察官僚としての信用も大きく損ないました。大森はそれでも懲りることなく、大物情報官僚を自認して数冊の著書を出版しています。

※本記事は、福田博幸:著『日本の赤い霧 極左労働組合の日本破壊工作』(清談社Publico:刊)より一部を抜粋編集したものです。