「おまえにとってビッグなチャンスだよ」
「まあ、それでどういう話になったかというと、次に記者さんが取材へ来る来週の仙台でおまえの試合を組むと約束したから」
その瞬間、全身の毛穴がぶわっと開いて汗がジワーッとにじみ出てきた気がした。それって、確実にぼくが雑誌へ載ってしまうということじゃないか。
「いや~、こんなに早く俺の狙いが当たるとはなあ。やっぱりおまえをデビューさせてよかったよ。タイトルは『タスケもビックリ! 東北の人間山脈、アンドレを発掘!!』なんていうのは、どうだい? ンムフフフ」
勝手に記事の見出しを考えて悦に入るタスケさん。しかられずに済んだのはよかったけれど、ぼくの気持ちはそれどころでなくなっていた。
「タスケさん、あの…」
この時、ぼくは小学生であることを白状する決心をした。今ならそれを明かして記者さんに説明すれば来週、試合を組まれずに済むと思ったからだ。
もう、難しい地名のところにいきたいだなんて言っている場合じゃない。親からはウソがバレて大目玉を食らうし、友達はぼくがプロレスのリングに上がったことを知ったら、今まで以上にうるさくはやし立てるのは確実だ。
なのに、ぼくの言葉はタスケさんによってさえぎられてしまった。
「今日はご苦労だった! それでアンドレ、来週土曜の仙台までおまえの試合は組まない。そして巡業にも参加しなくていい。ずっと道場で特訓を続けろ。マスコミが取材に来るようなところだったら、昨日のような試合にはさせられないからな。
やれるだけプロレスの動きを身につけろ。そしてもっとアンドレを研究しろ。いいか、おまえにとってビッグなチャンスだよ。プレッシャーはあるだろうけど、これはもう決まったことだ。マスコミとの約束だからな、今から変えることはできない」
ぼう然とするしかなかった。巡業に参加できなければ、東北プロレスに関わる意味はない。難しい地名のところにいけるからという理由で誘ったことなんて、タスケさんの頭の中からすでに跡形もなく消えているのは確実だ。
だけど、それをタスケさんの前で口にする勇気はなかった。決まってしまったことを断ったら、東北プロレスの皆さんに迷惑がかかってしまう。
運命さんやテッドさん、万念先輩にハヤト先輩…一人ひとりの顔が浮かぶにつれて、本当のことが言えなくなった。下を向いて黙り込むぼくにタスケさんが何かを差し出した。
「このマスク、タッキーが入れたのか?」
見覚えのないものだったので「わかりません」と答える。タッキーとは、滝川さんのことだろう。
「じゃあ、コスチュームを入れる前から事務所にあったバッグの中へ誰かが入れておいたんだな。ほら、おまえにやるよ。今日のご褒美だ」
プロレスファンならマスクをもらえるのは嬉しいんだろうけど、ぼくはチャチなオモチャにしか見えなかった。でも、タスケさんがくれるというのだから断れない。
「これは、どの先輩のマスクなんですか?」
「それはオーバーマスクといって、試合以外で被ったりするものだ。別にどの選手のものっていうわけじゃないから気にするな」
名もなきマスクか。言われてみると、白地に黒で目と口の部分がフチどりされているだけでなんの特徴もない。ぼくは無造作にジャージーのポケットにそれを突っ込むと、タスケさんに一礼してセコンド業務へと向かった。