芸能界に語り継がれる“梅沢伝説”は本当か?

テレビを足がかりに、大ブレイクを果たしたように見える梅沢。しかし、当の本人は「俺はテレビで食ったことはない」と公言する。

「ドラマって1クール、3~4ヶ月もかかってギャラは1本いくらだからね。やってられないよ、そんなものは(笑)」

梅沢の強気には理由がある。『夢芝居』をリリースした頃の梅沢は、1回の舞台で数百万円ものギャラが稼げるようになっていたのだ。一方で『紅白』の出演料は3日間拘束にもかわらず桁が1つ違った。

「そんなの、スタッフたちにうなぎ食わせたら終わりだよ(笑)」

芸能界に語り継がれる“梅沢伝説”をご存知だろうか? どんな状況でも決してへりくだらず、数々の現場で出入り禁止を食らったという彼の逸話たちである。やはり、梅沢富美男は強気ということ。でも、彼は本当にそんなに各所で揉めていたのだろうか?

「揉めたっていうか、普通に意見を言っただけだよ(笑)。まあ、たしかに『何回、リハさせるんだ!』とNHKでは言ったけどな」

『夢芝居』がヒットした頃、梅沢はまだ32~33歳の若さだった。今の時代感覚で言うと、若手も若手である。

「だって、俺はひねた新人だったから(笑)。あと、もう十分に世の中の酸いも甘いもわかって出てきているわけだからね。それに、俺には舞台があったし。なんだったら、『イヤなら使わなきゃいいだろ』と思ってるから。

俺、今でもずっとそう思ってるんだよ。『ミヤネ屋』だってそう。だから『ミヤネ屋』とは、いまだにレギュラー契約を結んでないもん」

歯に衣着せぬ自分の発言で、番組に迷惑がかかってはいけない。そんな思いから、梅沢は常に1回限りのつもりで『ミヤネ屋』に出演しているそうだ。

「『ミヤネ屋に迷惑がかかるんだったら、いつでもやめますよ』とスタッフには伝えてあるよ。『その代わり、“これを言ってくれ”と俺に言うのはやめてくれよ』っていう約束をしてね」

うるせえな、ジジイ。女遊びでもしてこいや!

そんな梅沢にとって、この数年間は土壇場だったらしい。大衆演劇はコロナ禍の影響をダイレクトに受ける文化だ。当然、梅沢劇団もコロナ禍による大打撃を受けていた。

「2年間、ことごとく舞台がなくなっちゃったからね。もう、ダメだと思ったよ。だって、俺は大勢の劇団員を抱えてるんだよ?」

さすがの梅沢も公演の相次ぐ中止はこたえた。ついには、家族の前では決して見せなかった弱気な姿を見せてしまった。そんな彼を奮い立たせたのは、次女・名津美さんからの意外な言葉だ。

「年齢も年齢だし『このままいったら、もう舞台人の梅沢富美男はなくなるんだなあ』ってこぼしてたら、『グチグチうるせえな、このジジイ。女遊びでもしてこいや!』って娘が言うんだよ。子どもの頃からずっと見てきた、いつものパパと違ったからだろうな……いやあ、カッコよかったねえ(笑)。ただ、女房は『バカなこと言ってんじゃないわよ!』って止めに入ってたけどな(苦笑)」

▲老害という言葉とは真逆の魅力的で粋な大人であった

常々「下半身は30代」と息巻いている梅沢である。コロナ禍を乗り越え、72歳にしてなお盛んだ。そして、梅沢富美男にとってのホームは、「舞台」と「家族」だということもわかった。

(取材:寺西 ジャジューカ)


プロフィール
 
梅沢 富美男(うめざわ・とみお)
1950年11月9日生まれ。福島県福島市出身。「梅沢富美男劇団」座長。大衆演劇隆盛期に活躍した花形役者の父・梅沢清と娘歌舞伎出身の母・竹沢龍千代の5男(8人兄弟の5男)として誕生。1歳7ヶ月で初舞台を踏み、15歳から兄・武生が座長を務める「梅沢武生劇団」で本格的に舞台に立つ。その後、20代半ばで舞踊ショーの女形が話題となり、一躍大衆演劇界のスターに。2012年、兄・武生から劇団を引き継ぎ、座長に。舞台では二枚目から三枚目、艶やかな女形まで幅広い役をこなし、脚本・演出・振付も手がける。そのほか、テレビドラマや映画などにも俳優として多数出演。