心の老いが体の老化も加速させる
しかし、残念なことに「心の老い」に自分で気がつくことはありません。
心というのは、そもそも曖昧で漠然とした世界ですから、その老化にも気がつかないことが多いのです。
これが体の老化なら否応なしに気がつきます。
はっきりした体力の衰えや能力の低下として表われますから、自覚しやすいし認めざるを得ないのです。「ああ、わたしも年だな」という実感は体の感覚を通して生まれてきます。
そういう実感、つまり体の感覚を通して生まれた老いの自覚が、心のブレーキをかけるということはあります。「無理しちゃいけないな」とか「齢相応の暮らしをしなくちゃ」といったブレーキです。
ところがここで、心の老いが始まっている人と、まだ心が若々しい人では同じ体の老いでも受け止め方が違ってきます。「大人しく生きるしかない」と考える人と「楽しむなら今のうちだ」と考える人がいるからです。
食べ物でも「質素にしなくちゃ」と考える人と、「食べたいものを食べよう」と考える人がいます。
つまり、同じように体の老化が始まっても、心の若々しい人はいろいろなことにチャレンジできます。それが結果として体の老化を食い止めることにもつながってくるのです。
心の老いは見た目の老いとなって表れる
老いが避けられない現実だということは、誰でも理解しています。同時に個人差が大きいことも、ほとんどの人が気づいています。
これはつくづく実感することですから、認めざるを得ないのです。
「なぜ、あの人はあんなに若々しいのか」
「同い年なのに、なぜ見た目の年齢差がこんなにも違うのか」
「仲間が集まると、なぜ老け込んだ人と若々しい人に分かれるのか」
「俳優や芸術家は、なぜいつまでも若々しいのか」
誰もが抱いてしまうこういう素朴な疑問に対して、たいていの人は自分なりの答えを用意していると思います。とてもシンプルな答えです。
「気持ちが若い!」
この一語に尽きます。
気持ちが若いからファッションでも小物でも若々しいものを選びます。気持ちが若いから行動も自由になります。
すると、気分も浮き立ちますし、はつらつと動き回ることになります。
そういう人は、女性でも男性でも華やかさがあるから目立ちます。若々しい人は目立ちますし、みんなの注目を集めます。
同じ年代の人が集まっても、老け込んだ人は目立たなくて、若々しい人が目立ちます。
これはファッションや行動だけではありません。若々しい人は思ったことをどんどん口にできる人です。自分がどう思われるかとか、間違ったら恥をかくとか、そんなことは気にしません。
自分の考えを飲み込んで黙っているより、はっきりと口にして、それが非難されたり反対されたら、そのときのことだと考えます。とにかく、心に浮かんでくるものを抑え込んだりしないのです。
老け込んだ人が目立たないのは、服装や姿が地味というだけではありません。若々しい人とは逆に、心に浮かんでくるものがあっても、それをまず抑え込もうとします。周囲にどう思われるかを考え、間違えて恥をかきたくないと慎重になります。目立たないように振る舞いますから、どうしても地味な印象になります。
つまり、心の老いは“見た目の老い”となっても表われるのです。