誰もが老後はストレスなく穏やかに過ごしたいもの。しかし、70歳を過ぎても健康診断の結果にしばられ、あちこちの医者に通い、死ぬまで薬を飲み続ける生活では、のんびりとした暮らしとは程遠い……。長年にわたり多くの高齢者と関わってきた和田秀樹氏が、「With」病気という新しい考え方を提案する。

※本記事は、和田秀樹:著『老人入門 -いまさら聞けない必須知識20講-』(ワニブックス:刊)より一部を抜粋編集したものです。

「老いのせい」だからと受け入れる

私は健診に否定的です。それにはいろいろな理由がありますが、70歳を過ぎたらもう、健診そのものが無意味だと考えています。

どこかの数値に異常が見つかったとしても、体そのものが老いている最中なのですから、さまざまな病気や不調が出てくるのは当然のことなのです。

それを治そう、つまり正常な数値に戻そうとすれば、あちこちの医者に通い、いろいろな検査を受け、あれこれ処方される薬を飲まなければいけません。

のんびり生きよう、自由を楽しんで生きようとするときに、大きなストレスがかかってきます。

老いてからの病は緩慢な進み方になりますから、通院の期間も薬を飲む期間も長くなります。70歳過ぎて一度薬を飲み始めると、ほとんどの場合は死ぬまで手放せなくなることが多いのです。

そもそも70代、80代の人に健康優良者がいるでしょうか。皆さんどこかしらに病気や不調を抱えています。あるいは脳梗塞や脳溢血のような血管系の病気で倒れ、退院はしたものの、それなりの養生をしている人もいます。

つまり、高齢になると、ほとんどの人がwith病気、病気と共に生きていることになります。これはもう仕方ありません。誰のせいでもなく、老いのせいなのですから、受け入れるしかありません。

もしそのとき、「防ごう」とか「乗り越えよう」あるいは、「ほかの病気にかかってはいけない」と考えたらどうなるでしょうか。ふだんの健康管理はもちろん、健診の数値にもピリピリするようになります。

ほんの少しの異常が見つかったり、ちょっと不摂生をしただけで自分を責めたり、生活のありかたに神経を尖らせるようになります。「あれがいけなかった」「これも油断した」と反省することになります。

▲「老いのせい」だからと受け入れる イメージ:C-geo / PIXTA

70代過ぎて「あれもいけない」「これもいけない」なんてイヤですよね。自分の生活を自分でチェックして、少しのわがままやいい加減さを戒めるなんて窮屈なことですね。あり余る自由を楽しみ尽くすことが、老いてからの人生の目的だったはずです。

だから、病気になったらなったでそのときのこと、今は自由を優先して楽しむ生き方でいいはずです。

生活のなかの「自由」を優先することが大切

老いてくると、どうしても不自由が増えてきます。膝が痛む、腰が痛む、目がかすむ、耳が遠い……。そういった老化に加えて、脳や心臓にも病を抱えている人が増えてきます。

急な運動や激しい運動はできない、水分補給が欠かせないからトイレが近いなど、70代くらいから、10人集まれば、ほぼ全員が何かしらの不自由を抱えているようになります。

でも、外出して人と会えたり、集まっておしゃべりしたり食事をしたり、あるいは景色のいい場所を散歩するぐらいのことができるなら、まだまだ生活を楽しむことができるし、実際に楽しんでいる人が多いはずです。

みんな自由かといえば、それなりの不自由は抱えています。でも、その不自由に負けることはありません。老いも病気も不調も受け入れて、好きなように暮らそうとします。

しかも、老いのいいところは、同世代のつらさが想像できることです。

老いには個人差がありますが、自分が元気だからといって、元気のない同世代に冷淡になったりはしません。「いずれは私も」と知っているし、元気そうに見えても、かつてに比べれば自分の老いに気がついている人がほとんどになるからです。

そう考えていくと、体の不自由や病というのは、老いという大きな世界のなかの一部分、ということにならないでしょうか。老いが病や不自由を包み込んでくれて、生活のなかの自然な感覚になってきます。with病気です。大きく言えば「with老い」になります。

▲生活のなかの「自由」を優先することが大切 イメージ::8x10/PIXTA

自然に老いていくとか、順調に老いていくというのは、80代を過ぎるとごく普通のことですが、案外、難しいことでもあります。不自然な老いや急激な老いに慌てたり、振り回されてしまう人も多いからです。

そうならないためのコツというか、生き方や考え方としても、生活のなかの自由を優先することが、大切になってくるような気がします。