普段は弁護士として活動しながら、ラジオ番組『角田龍平の蛤御門のヘン』(KBS京都)でパーソナリティを務め、プロレスラー・マッスル坂井に「文化人枠最強の話し手」と言わしめた角田龍平(すみだりゅうへい)のプロフィールは、やたらと情報量が多い。

高校時代、『紳助の人間マンダラ』(関西テレビ)の「オール巨人の弟子募集」企画に応募し、立命館大学入学と同時にオール巨人に弟子入り。そして、その1年後には弟子を卒業。10年にわたる猛勉強の末に弁護士となり、橋下徹の弁護士事務所に所属しながらも『角田龍平のオールナイトニッポンR』(ニッポン放送)を2009年にスタートさせ、再びタレントとして今度は芸能事務所「タイタン」に所属することに。

その後、2年で橋下の事務所から独立し、現在は吉本興業所属の文化人タレントとして“弁護士兼元芸人”という特異なスタンスで活躍中だ。伝説のラジオ番組『誠のサイキック青年団』(ABCラジオ)から強烈な影響を受け「『サイキック』のようなラジオをやりたい!」という志を胸にパーソナリティ活動を始動させた角田龍平という人を紹介しよう。

冠ラジオの最終目標は恩人・島田紳助の出演

――私から角田さんの取材をしたいという企画を出させていただいて、この取材ということになりました。関東の方にも角田さんのことをご紹介したく、インタビューさせていただきたいなと思ったんです。

角田龍平(以下、角田) ありがとうございます。

――まず、角田さんのルーツというか、半生について質問させていただきたいと思います。若き日の角田さんが芸事の世界に進まれたのは、紳助さんの『人間マンダラ』がきっかけですよね。

角田 そうですね、はい。

――巨人師匠の「漫才道場」という企画で芸人の世界に足を踏み入れましたが、それ以前から漫才師という職業に憧れを抱いていたと思います。具体的に、どういった漫才師がお好きだったのでしょうか?

角田  僕らの世代は、まぁみんなそうやと思うんですけど、当然のごとくダウンタウンは好きで、あとは大木こだま・ひびきさんも好きでした。浅草キッドとか、そういう東京の漫才も好きでしたね。

――めずらしいですよね。関西にお住まいで、浅草キッドさんから影響を受けたって。

角田 それは、サイキックミーティング(『サイキック青年団』が開催するイベント)に浅草キッドがゲストで出てくることがあって、そのときに漫才を見て“漫才版サイキックみたいで面白いなあ”と思ってました。

――角田さんと私は学年が1個違いで、私も中高生の頃はキッドが好きでした。半年ぐらい、彼らは『オールナイトニッポン』の2部を担当していて、そのときに(北野)誠さんとシンデレラエキスプレスの松井(成行)さんの女遊びの話をよく話していて、それをきっかけに私は『サイキック』の存在を知ったんです。

角田 あ、逆に浅草キッド経由だったんですか。へぇー。

――そうなんです。で、そのあとに角田さんは巨人師匠の弟子修行を務められました。ところで、2011年に島田紳助さんは芸能界から引退されましたが、角田さんが弁護士になって以降、紳助さんとはお会いしましたか?

角田 まったくなかったんです。巨人師匠も司法試験に合格するまではほとんど会ってなかったんですよ。巨人師匠と紳助師匠からは、弟子をやめても「いつでも遊びに来い」と言われたんですけど、僕は漫才が好きやったんで、会いに行くと漫才はやらないにしても“放送作家になりたい”とか思っちゃうだろうなという意識があったんで、なるべく会わないようにしてたんです。

で、司法試験に合格したときに巨人師匠に報告して。でも、紳助師匠とはずっと会ってなくて。ただ、巨人師匠が合格したことを紳助師匠にも言ってくれたようでした。巨人師匠からは「紳ちゃんが“すごいええ話やなあ”と言ってたで」と、教えてもらってたんです。でも、直接会うことはなくて。

その後、2011年に法律事務所を独立したとき、紳助師匠宛てに吉本に手紙を出したんです。漫才の弟子をやめるときは紳助師匠にもお伝えしていたので、そこからの15年、自分がどういう人生を歩んできて、どれだけ紳助師匠に感謝しているかを綴った手紙をお送りしました。

そしたら、お返事をいただきました。「たまにテレビで見てるで」「全然、昔と変わってへんな」みたいな。ほんで「また今度、ご飯行こう。FAXするわ」という絵葉書をいただいたのが、紳助師匠が引退するちょっと前ぐらい。

そこからFAXは送られてこないまま……また十何年経ってるっていう。でも、KBSで僕がラジオ(『蛤御門のヘン』)をやってるのは、最終的な目標で紳助師匠に番組に出てほしいっていうのがあって。

――えっ、そうなんですか!

角田 それは、僕の個人的な願望ですよ。いろいろ難しいと思うんですけど、紳助師匠は京都出身で、KBSでずっとラジオをやってらっしゃったんで。紳助師匠がラジオ(『ハイヤングKYOTO』)をやってらっしゃったときのディレクターで、こせんさんという人とは知り合いですし。

あと、柳田(光司)さんっていう友人の放送作家に番組に出てもらって紳助師匠の話をしたり、そういうことをしていたら紳助師匠の京都時代のお友達とか、誰か聴いてくれるんやないかという思いで僕はやってるんです(笑)。

――それらの企画は、紳助さん出演のための布石だったんですか。

角田 そういう自分の願望はありますね。ただ、大崎会長〔大崎洋、今年の6月で吉本興業の代表取締役会長から退任〕がKBSで番組(『らぶゆ〜きょうと』)をやってらっしゃるので、“僕はやれないんかな?”とは思うんですけどね。

――大崎さんの番組のほうに紳助さんは行っちゃうかもしれない(笑)。

角田 順番があるかもしれないですけど、僕としてはそういう思いでKBSで番組をやっていて、それが最終的な目標ですね。