『ごっつええ感じ』を見ながら悩んだ日々

――ブラマヨの世代ですか。それは強い人揃いですね……。

角田 その一方で、当時、紳助師匠のマネージャーが僕らのことを売り出すプランを考えてくださってる感じもあって。逆に、それも怖かったんです。果たして、今の自分の力でその売り出しに乗っていけるか…? みたいな。

――どんなプランがあったのでしょうか?

角田 ぜんじろうさんの『テレビのツボ』(毎日放送)ってあったじゃないですか? あの後番組として日替わりでMCが替わって……みたいな番組企画を聞いた記憶があるんです。そのときに「お前らが“ひと曜日”やる話がきてて……」と言われて。

――すごい!

角田 結局、(おおかみ少年の)相方が高校生やから深夜放送は出れへんっていうことになったんです。でもそのとき、18歳の僕は「一人でやらせてください」みたいなことを言ってた記憶があるんですよ(笑)。だから、そのへんはすごい揺れ動いていた。やりたいけれど不安もあるし……っていうようなことやったと思うんです。

ただ、それまではうまいこといって褒められる機会が多かったのが、一気に自信をなくす出来事がいくつも続いて、厳しい状況に追い込まれていて。大崎さんに屋上に連れてかれてネタをしたときに「おもろいネタできたら、また見せてくれ」と言われたんです。「今、東京で若手ライブをやってて、そこに出したるから、おもろいネタできたら行ってこい」みたいなことも言われて。

でも結局、僕は見せなかったんですよ。ずーっと悩みだしてしまって。『ダウンタウンのごっつええ感じ』(フジテレビ)を見てると、ダウンタウンが神がかってる頃やったんですけど、それを“すげーな”と思いながら笑ってる自分が芸人をやる意味あんのか……と思ったり。

だから、いろいろせめぎ合いがありました。出たいという気持ちと、自信がなくなっていく気持ち。理由は複合的にあって、最後は逃げるという感じでしたね。

同期・ブラマヨに認められてうれしかった

――芸人から弁護士へと、角田さんは大きく方向転換をされました。ただし「是が非でも!」という気持ちで弁護士を目指したわけではなかった、という話も聞いたことがあります。「司法試験を受けよう」と強引に自分を言い聞かせてる部分もあったのでしょうか?

角田 思いのほか期待されてた部分もあったんで、やめる理由が必要やったっていうのは本当にあったんですよね。「もう、怖くなりました」「もう、逃げます」とも言えないので、でっち上げた部分は正直あったと思うし。

ただ、最初から弁護士の仕事が単なる逃げ道やったかというと、そうではなくて。当時はオウム事件があって、サリン事件が95年で、阪神淡路大震災もあって、社会的な事件に関心が高まっていたというのもあったんです。

で、オウム事件が起こった頃に吉本の芸人さんたちは、つかみで「ようこそ、なんばグランドサティアンへ」みたいなことを言ってたんです。それを見て、社会で起こってることに対してお笑いは茶化すしかできへんのかな、みたいな思いもあったんです。自分の才能が欠如してることの言い訳に使っただけかもしれないですけど(笑)。

だから、わからないんですよね。あのとき、なぜやめたかっていうのが。今から考えてすごいチャンスをいただいてたんで、改めて振り返るとそれをよく放棄したなって。でも、それなりに考えてたのも確かなんですよね。

――今、テレビでは同期のブラマヨさんが大活躍されています。それを見て、未練というか思うところはありませんか?

角田 司法試験に落ち続けているときは、正直“やめんほうがよかったかな”みたいな思いもあったんです。コンクールで一緒にやってた人が、どんどんテレビに出だして売れていってたんで、それを見ていると……ありましたね。

「やっといたほうがよかったんかな」「司法試験に受からんかったら、放送作家の仕事をやるしかないのかな」という思いはあったんですけど、ブラマヨが優勝した2005年のM-1があまりにもすごかったんで。あの漫才を見たら、“うわあ、本当にやめてよかった”と思ったのは覚えてます。

――伝説の、あの漫才を見て。

角田 思いましたね。1995年の梅田アンダーグラウンド花月から、ちょうど10年経ってるんですよ。そのときに別々のコンビを組んでた吉田さんと小杉さんが、もう圧倒的な漫才やったんで。「絶対に10年続けたところで、この領域には達していないな」と感じて。だから、ほんまにやめてよかったなって思いましたね。

何年か前に小杉さんのイベントに出してもらったとき、打ち上げでその話をご本人にしたんです。「あの漫才を見て、ほんまに“やめてよかった”と思いました。こんな人らと10年やってても、敗北感しか味わえへんかったと思ったから断ち切れた」って。それを言ったら小杉さんも喜んでくれて、僕もうれしかったですけどね。

――角田さんは最初からテレビに出ていたから、小杉さんからすると「同世代に角田龍平がいる」というのは認識されてたんでしょうね。

角田 以前に『ウラマヨ!』(関西テレビ)に出たとき、吉田さんが「おおかみ少年がネタやってるときは、絶対笑わんとこ思ってた」みたいなことを言ってくれはったのは、すごいうれしかったですね。

≫≫≫ 明日更新の後編に続く

(文=寺西ジャジューカ)


プロフィール
角田 龍平(すみだ・りゅうへい)
1976年12月16日生まれ。京都府出身。高校在学中、テレビ番組の企画に応募したことがきっかけでオール巨人の弟子となる。新人コンクールで大賞を獲得するなど将来を渇望されるが、漫才師志望から一転、自ら廃業して弁護士を目指す。2008年に弁護士登録。同時期に「オールナイトニッポン・パーソナリティ・オーディション」でグランプリを獲得、『角田龍平のオールナイトニッポンR』(ニッポン放送)のパーソナリティを1年間務めた。2011年には「角田龍平の法律事務所」を開設し、独立。2017年10月から冠ラジオ『角田龍平の蛤御門のヘン』(KBS京都)を担当している。Twitter:@sumidab