師匠であるオール巨人や恩人・島田紳助に期待されながら、芸人として成功を目指していた角田龍平(すみだりゅうへい)。しかし、思うようにいかない日々を過ごすうちに自信を失い、芸人の道を諦めて司法試験を受けることを決意する。

現在では、弁護士として活動しながら、ラジオ番組『角田龍平の蛤御門のヘン』(KBS京都)でパーソナリティを務め、弁護士兼喋り手という特異なスタンスから、ひと味違った持論を好事家に向けて発信している。

このインタビューでは、彼のなかで息づく『誠のサイキック青年団』(ABCラジオ)からのイズムについて掘り起こしていきたいと思う。

橋下徹の弁護士事務所に所属してタイタン入り

――司法試験に合格されて、そこから角田さんが入ったのは橋下徹さんの弁護士事務所でした。そして、弁護士になった翌年に『オールナイトニッポン』(ニッポン放送)のオーディションを受けています。やはり、弁護士でありながらメディアに出演する方向性も模索されていたのでしょうか?

角田龍平(以下、角田) それは正直ありましたね。そういう出方をする弁護士っていなかったんですよ、『バラエティー生活笑百科』(NHK)みたいなのはあったとしても。ワイドショーに弁護士が出るというシステムが出てきたのはオウム事件以降でした。それから、他のトピックにも弁護士がコメントするような流れが出てきて。僕が司法試験の勉強を始めた頃はあまりいなかったんですが、合格するまで時間がかかってしまったので……。

司法試験に受かったのはもう30歳間近で、早く独立したいという思いもあったので、そのためにはメディアに出ざるを得ないという事情があったんです。あと、“出ざるを得ない”というだけじゃなくて、もともと目立ちたがり屋なので「出たい!」っていう気持ちも正直ありました。

ただ、おそらく橋下さんは、自分はテレビに出ているけど、自分の事務所の所属弁護士をメディアに出させるのはイヤなんちゃうかなとは思ってたんです。でも、“そういうチャンスはあるんじゃないか”という思いも、正直ありました。

――『角田龍平のメモリーガル』(角田がMCを務めるポッドキャスト番組)に太田光代さんがゲスト出演された回を聴いたのですが、光代社長は橋下さんの推薦で角田さんを紹介され、タイタンにタレントとして所属してもらったと言っていました。

角田 いや、社長の記憶を僕はあえて訂正はしなかったんですけど、そうじゃなかったと思うんです(苦笑)。

――そうなんですか。

角田 まず、タイタンを担当していた先輩弁護士が事務所を辞めて、それを僕が引き継いでいたんですね。それで、所属タレントが事件に巻き込まれたので「記者会見に立ち会ってくれ」って言われて。それが太田社長との初対面でした。

で、会見で僕は記者相手に言いくるめるようなことをいろいろ言ってたんですよ(笑)。それを太田社長が聞いて「あなた、しゃべれるわね。テレビ、出ない?」みたいなことを言ってくれて。それがあって、太田社長が橋下さんに「あなたのところ事務所の角田さん、出していい?」みたいな話の流れやったはずなんですよね。

――角田さんの記憶からすると、その流れに橋下さんは存在しないですね(笑)。

角田 当然、橋下さんはボスやから、ボスの承諾なしにテレビに出るわけにはいかへんし、あとから太田社長は橋下さんと話はしたと思うんですけど、最初から「こういう子がいるので~」みたいな感じではなかったと思うんですよ。

で、僕が橋下さんとケンカして事務所を辞める話になったときに、橋下さんから「じゃあ、タイタンのテレビの仕事はなくなるからね」みたいなことを言われたんです。で、僕は「全然いいですよ」って答えて。「ただ、『オールナイトニッポンR』はタイタン関係なく自分でオーディションを受けて取った仕事なので、それは絶対やめないです」って言いました。

橋下さんは、ギャラの良い『サンジャポ』より、ギャラの安いラジオを選ぶ僕のことが理解できない様子でしたね。結局、橋下さんから「事務所を辞めてもタイタンに残れるように、太田社長に言っといたから」って言われて。最初から太田社長は「事務所を辞めてもタイタンに残ったらいい」と言ってくれたんですけどね(笑)。