時は2000年代初期。インターネットが普及し始め、スマホではなく“ケータイ”だった頃、身長が180cmを超えながらスポーツが嫌いで、難しい地名を知ることが楽しみな漢字オタクの小学生がいました。あだ名は「アンドレ」。これは、そんな少年が東北の風景の中でプロレスを通じ経験し、人生を学んだひと夏の物語です。
東北プロレスとの別れ
「合宿所のみんなには言ったのか?」
「はい、言いました。皆さん、驚いていました。でも『高校卒業したら帰ってこいよ』と励ましてくださって…日向先輩も、井之上先輩も笑顔で合宿所を送り出してくれたのが嬉しかったです」
「そうか。ほかの主力選手やスタッフもみんな同じだよ。で、おまえは大人になってもプロレスラーを続けたいのか?」
「申し訳ないんですけど、正直なところ自分でもわかんないんです。確かに、皆さんと出逢えて、ファンの温かさを知って、ぼくはプロレスが好きになりました。でもやっぱり、ぼくには地名オタクの方が性に合っているんです。
僕、将来は社会科の先生になって地理を教えたいと思っていたんです。だけど…大人になった時、自分の気持ちがどうなっているかは、本当にわからないですよね。まだ、6年もあるわけですから」
「そうだよな。まあ、自分の道だ。俺たちは扉を開けたまま待っているよ。それで、おまえにもう一度プロレスがやりたいという気持ちが残っていたら戻ってこい。いいか、プロレスがやれるからって、ほかの団体にいったら承知しないぞ。その時はハヤトを仕向けてお仕置きするからな」
東京へ帰る日。盛岡駅に向かうべく、合宿所へ車で迎えにきてくれたのはなんとタスケさんだった。社長自らが、わずか3試合しかやっていない新人のために運転するなんてあり得ないと、先輩たちは驚いていた。
ぼくは恐縮しつつも、タスケさんの隣に座り最後の会話をした。後部座席に置いたスポーツバッグの中は、楢葉から出発した時より少しだけ膨らんでいた。運命さんからいただいたレスリングシューズと、黒のスパッツ、そしてマスクド・アンドレの覆面。
駅に着くと、タスケさんは「せんべつだから」と東京までの切符代を出してくれた。聞かれてもいないのに、緑の窓口の係員さんに「こいつは小学生だから、小人料金ね。本当だからね。信じてる? わたくしの顔がウソをつく顔に見える?」と言うあたりは、らしいなと思った。
「この顔」って、マスクを被っているんだから。東京へ戻ってしまったら、そんな楽しいタスケさんの話も聞けなくなる。
「じゃあな、アンドレ。これからも頑張れよな」
「本当に、お世話になりました。合宿組以外の皆さんにもよろしくお伝えください」
「ああそうだ、おまえにこれをやるのを忘れてた」
出発のベルが鳴り始めてから、タスケさんは後ろのポケットをまさぐり始めた。デッキに立つぼくへ差し出されたのは…。
「これ、タスケさんのマスクじゃないですか!?」
「まあな。前にあげたマスク、結果的に試合で使うことになったけど、あれは本来試合用じゃない安いマスクだ。それじゃコスチュームを取ってきてもらったごほうびにもならんだろ。だから、これをやるから大切にしてくれ」
すっかりタスケさんに心酔してしまったぼくにとっては、どんな高価な宝石よりも嬉しいものだった。でも、あの安っぽいマスクにも、十分すぎるほどの思い出を染み込ませることができた。
「タスケさん、もらえないッスよ! お気持ちだけで嬉しいです!」
自然と、いっぱしのプロレスラーっぽい口調になってしまっていた。返そうとするぼくの手が押されたところで、デッキの扉が閉まった。車窓の向こうで、タスケさんは笑っていた。そして声こそ聞こえなかったが、口の動きで何を言っているのかはわかった。
「アンドレが、帰ってくるまで、東北プロレスは、永遠に不滅だーっ!」