大学時代にダメレコに送った音源がキッカケ

じつは彼が大学4年生の頃、ラッパーのダースレイダーが主宰するヒップホップレーベル「Da.Me.Records」に音源を送っていた過去があった。

「当時、ダメレコ(Da.Me.Records)からは大学生みたいなヤツがいっぱいデビューしてたんで、取り合ってもらえるんじゃないかと思って。ちゃんとスタジオで録ったやつとかじゃなく、(目の前のICレコーダーを指し)この録り方と一緒です、宅録以下っす。カセットテープで録ったやつを、MDに焼いて送ってみたんです。

別にそれでデビューしたいとかいうわけでもないし、まあなんか発露したんですよね(笑)。そしたらメールで返事があって、無視はされませんでした。たぶん、すごい量が届いてたと思うんで、なんかおもしろいと思ってもらえたのかな」

今となってはわかりきったことだが、呂布カルマはラップをする才能を持っていた。義務教育では“皆と同じこと”をする競争が課せられるが、その期間を終えてから、呂布カルマはずっと“得意なこと”だけで勝負できる場所を探していた。だから、彼は芸大に進んで漫画家を目指し、その過程を経てヒップホップにたどり着いたのだ。

「あと、今思うと、自分はマンガでストーリーどうこうじゃなく、男同士が闘うシーンを描きたかっただけだったんですよね。思春期に持ってる暴力性とか衝動を、そういうところにぶつけてたんかな?って。ラップも最初はそういう荒々しいもんだったし、衝動の表現方法をラップに見つけたのかもしれないですね」

ラップを始めた頃の呂布カルマには、ラップで有名になり、それからカールスモーキー石井みたいなスタンスでマンガを描こう、というプランがあったらしい。

「音楽で売れたあとに、マンガなり絵が発表できればと。それって、最初から絵だけやってたヤツより価値があるじゃないですか(笑)。絵を描いたりは年を取ってからもできるだろうし、今はフィジカルで音楽をやるほうが向いてるなと思って。だから、そのときは挫折したとか諦めたってよりも、後回しにしたっていう感覚でしたね。で、あとで実際にマンガは描いたので挫折してないです(笑)。夢は叶ったってことです」

ちなみに今、呂布カルマに「マンガを描きたい」という思いは残っているのだろうか?

「まったくないです。連載〔2017年に「gooいまトピ」で『俺と世界』というマンガを執筆〕もしましたけど、むっちゃ大変でした。しかも、俺はふわっと描いてお茶を濁すみたいなのがイヤで、結構ガチで描いてたんで。そうすると時間もかかって、割にも合わないし(笑)。本当、愛がなきゃ無理だなって」

ラップするのに努力したことはない

漫画家を目指していた呂布カルマは、美大卒業後にラッパーになる道を見つけ、水を得た魚のように頭角を現していった。「名古屋に呂布カルマあり」と、他のラッパーから恐れられる存在になっていった。楽曲に関しても、フリースタイルバトルに関しても、どの表現方法でも彼のやることなすことがラッパー界隈では噂になった。

「ラップに関しては、努力したことは一瞬もないですね。でも、ラップを始めて最初の3年ぐらいは寝ても覚めても常にラップのことを考えてました。カラオケ屋でバイトしてたときは、バイト中にリリックとか韻を考え、レシートの裏にメモを残して。別に鍛錬とかではなく、単純に没頭してやってました」

「努力したことはない」と言いのける姿は、土壇場について話す趣旨とは少しズレると感じる読者もいるかもしれない。ただ、ラップに没頭する一方で、生活についても考えなければならない、ということを前提に読んでほしい。なにしろ、当時は音楽活動だけで食えるラッパーなど、ほぼ存在しない時代だったからだ。

「自分のラップは通用してたし、東京で売れてるヤツらよりもイケてると思ってました。ただ、1stアルバム(2009年発売の『13shit』)を出したら生活が変わると思ったけど、全然変わんなかったし、“ラップで食うとかじゃないんだなぁ”と勝手に思って。だから、ラップは趣味として一生やっていけばいいと思い、就職しました。

でも、自分には本当に普通の仕事が向いてないなと思って。オッサンというかジイさんみたいな人ができてることが、全然できなくて……。学生のときはすごい劣等生だったんですけど、大人になってからはラップしかしてなかったし、そこではすごく褒められてたんで、勝手に自分がすげえできるヤツだと勘違いしてたんですね。

で、サラリーマンになったら求められる厳しさって、バイトの比じゃないじゃないですか? 例えば、遅刻一つにしても怒られ方のレベルが全然違う。“えっ、遅刻でこんなに怒られる?”って(笑)。そういうこともあって、学生の頃のできなかった自分が甦って、“あ、もともと俺はこっちだったな”って思い出しました(笑)」

ヒップホップファンからすると、呂布カルマには“できる人”のイメージしかないはずだ。しかし、それは今の彼が“得意なこと”で勝負しているから、そう見えているだけのようで、苦手なこともたくさんあるようだ。

▲「本当に普通の仕事が向いてない」と自嘲する呂布カルマ

ちなみに、呂布カルマが過去に学習塾に勤務していたのは有名な話である。

「よく講師をしていたと勘違いされるんですけど、教えられるほど勉強はわかんないんで(笑)。塾では教室長という役職を担当して、生徒に“どうだ?”と面談したり、そういう仕事をしてました」

しかし、32歳の頃に呂布カルマは学習塾を退職、生活を音楽活動1本に絞った。

「塾では週5~6日働いてたんですけど、次第にライブでのギャラがもらえるようになって、週末のライブのギャラが塾の月収を超えちゃったんですね。だから、あんまりやってる意味ないなと思って」

問題がないわけではない。彼は大学時代から交際していた女性と結婚し、すでに第一子が生まれていた。音楽1本でやっていくことに対しての反対はなかったのだろうか?

「それは思うところもあったと思うんですよ。子どももいたし、自分は30歳を過ぎてたし。だけど、そこは言いくるめて(笑)。将来どうなるかわかんないですけど、“俺はたぶん、今後めっちゃ売れるから大丈夫だと思うんだよね”って。で、嫁さんはプロの漫画家(山口いづみ)なんですが、めっちゃ売れてるわけじゃない。だから、“お前もこれから売れるつもりでしょ? じゃあ、大丈夫じゃない?”みたいな(笑)」