初めて呂布カルマを見たときは怖かった。MCバトルを見ていると、R-指定や晋平太のようなベビーフェイス然とした“主人公感”を漂わせるラッパーがいる一方、隙がなくて非情でめっぽう強い呂布カルマの“怪物感”は際立っていたからだ。

それが今や、地上波のバラエティー番組でレギュラーを持ち、ACジャパンのCMでは高齢者をいたわってみたり、あれよという間にメジャー化を果たしてしまった。

呂布カルマは生まれもってのバランス感覚と知性で狡猾に成り上がった、稀有な存在。ある意味、当代きってのヒップホップらしさを感じるラッパーとも言える。しかし、すべてが順風満帆だったわけではない。彼の人生には、どんな土壇場があったのだろうか?

▲俺のクランチ 第35回-呂布カルマ-

「生徒から犯罪者を出したくない!」と担任に泣かれる

いかにもヒップホップ風な格好をするラッパーが多いなか、髪をオールバックにし、柄シャツを着てパフォーマンスする呂布カルマ。彼からは一味違うセンスを感じる。なにしろ、彼は名古屋芸術大学美術学科を卒業しており、漫画家を目指していた過去があるのだ。

「マンガは小学校2~3年生ぐらいから描き始めて、最初は三頭身ぐらいのキャラの4コマ漫画を描いてました。周りにもマンガを描いてる子はいたけど、次第にみんな描かなくなっていって。でも、逆に俺はドンドンのめり込んで、5年生ぐらいからはちゃんとした頭身のマンガを描くようになりました。もう、その頃にはプロの漫画家になりたいと思っていましたね。そうなるともう、勉強いらないじゃないですか? なので、もう勉強はいいやと思ってました(笑)」

そんな少年の大志を周りの大人が応援したかといえば、そうでもない。幼き日の呂布カルマが描くマンガは、担任の教師からなぜか目の敵にされてしまった。

「主人公の小学生が悪の組織に誘拐されて、改造される変身モノのマンガを描いたんです。まあ、仮面ライダーと一緒なんですけど(笑)。そのなかで、腕を切断されて変身の改造手術を受ける描写があるんですけど、切断面をかなりリアルに描いたんですよね。そしたら先生に見つかって、没収されて、親を呼び出されて(笑)。

小学生のときって、たぶんみんな、そういうのに興味あるんですよ。ただ、自分は絵がうまかったんで、それが目に止まっちゃって没収されて。で、朝のホームルームで学級会を開かれて“三嶋くん(呂布カルマの本名)のマンガ読んでる人、立ちなさい”ってみんな立たされて。それから“こんな残酷なものを読んでおもしろいんですか!?”って、一人ひとり詰められて、座っていくみたいな(笑)」

当時は、時代背景も良くなかった。神戸連続児童殺傷事件が世を震撼させ、過激な表現方法に大人たちは敏感になっていたのだ。

「先生も泣きながら、“私の生徒から犯罪者を出したくないのよ!”みたいな。俺がそういう道に行くと思ったのかもしれないですね(苦笑)」

ただ、学校に呼び出された母親は、問題となった彼の描いた漫画を読んでから「残酷と言っても、きちんとストーリーに沿って表現しているから、私は問題だとは思わないです」と先生に言い返したという。

「もしかすると、自分の芯みたいなものは、親から受け継いだものなのかもしれないな……と、今となっては思いますね」

▲親からの影響を指摘すると「そうかもしれないっすね」と微笑んだ

ラップを始めたらマンガはどうでもよくなった

漫画家になるべく、芸大まで進んだ呂布カルマ。やはり、彼も出版社へマンガを持ち込みに行った経験はあるのかを聞いてみた。

「名古屋に住んでいたんで持ち込みはしなかったですけど、ヤングジャンプが毎月マンガを募集していて、集英社に応募しました。でも、なんの反応もないし、送ったマンガが届いてるのかどうかもわからないって感じで。そのときは卒業制作の合間を縫って、完成まで半年ぐらいかかったかなぁ? 心は折れなかったですけど、厳しいなぁと思いましたよ」

そのマンガのタイトルは『BOWS(ボウズ)』。けじめで「頭を丸めろ」と言われるも、それを拒否して破門になったヤクザと、野球部に所属するも坊主頭になることを拒否して顧問と揉めた不良、この二人が主人公の作品だ。

最後は二人がヤクザから追われる身となり、自衛隊に入隊することで難を逃れたが、結局、最終的には自衛隊で坊主になるというストーリーであった。一筋縄ではいかない呂布カルマのセンスが活かされた力作と思うのだが、残念ながら実は結ばず。大学卒業後も、漫画家を目指す彼の生活は続いた。

「卒業してからは、フリーターをやりながら投稿作品を描いては持ち込みをする生活に入っていくんですけど、苦痛でしたね。学生時代は家でマンガをシコシコ描くというより、授業中に勉強の代わりにマンガを描くような感じで、それを学校のみんなに見せてました。

でも、家で一人で描くって、誰に見せるわけでもないし、読者がいるわけでもないし、このマンガがどうなるかわからない状態で描き続けるっていうのは、ちょっと無理だなって感じでした(苦笑)」

先行きの見えない生活をサラッと語る呂布カルマ。ラッパーとなる前のひとつの土壇場が、この漫画家志望の時代だったのかもしれない。

▲「原稿って返却希望って書かないと戻ってこないんですか?」と惜しがる

そんな生活が一変したのは、大学を卒業した矢先であった。新生活に入ってすぐの4月に、彼はいきなりラップを始めた。

「それまでは大学に通いながら、課題とバイトの合間にマンガを描いてたのが、マンガを描いてバイトするだけの生活になったんで、ちょっと暇じゃないですか? で、もともとラップに興味があったので、ちょっと遊びで始めてみたらめっちゃおもしろくて。もう、いきなり人前でもやれるようになったし、一瞬でマンガがどうでもよくなったっすね」