ニュースで耳にする「フィンランド化」とは?

1948年4月6日、フィンランドとソ連のあいだでフィン=ソ条約(フィン=ソ友好協力相互援助条約)が結ばれました。同条約は、前文でフィンランドの中立に対する願望を確認したうえで、第1条では、フィンランドもしくはフィンランド経由でソ連が侵略を受けた場合、フィンランドは必要ならばソ連の援助を受けて軍事的に抵抗する義務を負うと規定しています。

また、第2条では、そうした軍事侵略の脅威が生じた場合の両国間の協議を規定しています。ようするに、フィンランドとソ連は事実上の同盟関係になったわけです。

当初、ソ連は、同条約にも彼らが東欧諸国と結んだ相互援助条約並みの内容を要求し、フィンランドの傀儡国家化を目論んでいました。しかし、そこはさすがにフィンランドも受け入れられなかったため、前文の段階で、あくまでも「中立」であるという立場をソ連側に認めさせることに成功しています。

ただし、その代償としてフィンランドでは、これ以降、反ソ・反露言動が事実上禁止され、親ソ路線がことあるごとにアピールされるようになりました。このように、形式的には自由主義陣営に属しながら、実際はソ連の極めて強い影響下にあり、ソ連に従属する対外政策をとらざるを得ない状況を表した言葉が、いわゆる「フィンランド化」です。

ちなみに、フィンランド化は冷戦終結後に死語になったと言われていましたが、最近では、中国に対する文脈で復活しています(たとえば「カンボジアやラオスは、事実上中国に対して“フィンランド化”している」という使われ方をしています)。

その後、1991年末にソ連が崩壊すると、フィン=ソ条約も自動的に無効になり、後継国のロシアとのあいだで改めて1992年1月にフィンランド・ロシア友好条約が結ばれることになりました。

同条約は、

  1. 国連憲章と全欧安全保障協力会議(CSCE)最終文書の原則を基礎に、両締約国に対する第三国の侵略に相互の領土を使わせないことを謳った政治条約
  2. 環境保護や原子力発電所の安全確保、文化交流などの協力を約した経済条約
  3. フィンランドに近いロシア領のカレリア、ムルマンスク、サンクトペテルブルグ地方とフィンランドとのあいだの地域的協力条約で構成され、隣接する大国ロシアとの友好関係の維持を謳いつつも、フィン=ソ条約に比べると、はるかに高い自律性を確保しました。

ここで重要なのは〈1〉の政治条約です。フィンランドとロシアがお互いに不可侵であるだけではなく、「お互いの領土を使って第三国が攻めてくることはないようにしようね」と約束しています。この約束に配慮して、フィンランドはNATOに加盟してこなかったわけです。

ようするに、フィンランドがNATOに入れば、NATO加盟国とロシアがモメた際に、NATO軍がフィンランド領土を通ってロシアに攻め込む可能性があります。それはフィン=ロ条約に反することになるから参加しない。というのが、これまでのフィンランドの立場でした。

とはいえ、フィンランドも西側の一員なので、他の西側諸国とまったく足並みを揃えないわけにもいきません。1994年にはNATOの「平和のためのパートナーシップ協定」に加盟して、平和維持活動に参加するようになり、翌1995年にはスウェーデンとともに欧州連合(EU)に加盟しています。

ウクライナ侵攻で崩壊した中立政策

フィンランドとロシアは国境が1300キロも接しています。と言うことは、フィンランドがNATOに加盟すると、NATOとロシアとの国境線は一気に1300キロも延びることになるわけです。

▲地図:『今日も世界は迷走中』(小社刊)より

ロシア側からすると、フィンランド経由でNATO軍に攻めてこられると非常に困ります。だから、これまでフィン=ロ条約を結び、そのような事態にならないようフィンランドを“中立化”させる約束を交わしていました。

しかし、ロシアはそうした国際的な約束や常識の大前提を、2022年2月のウクライナ侵攻によって自ら崩してしまいます。

当然、フィンランドからすると「おいおい、話が違うぞ! ちょっと待てよ!」となります。もはや、ロシアが「国際社会の常識をわきまえた国」と言えなくなってしまった以上、その“非常識な国”が自分たちとの約束を反故にして、国境を越えて攻め込んでくる可能性を無視できません。もちろん、前々からロシアに対する警戒は緩めてこなかったとはいえ、その脅威が一気に現実的なものとなったわけです。

歴史的に見ると、フィンランドも、ウクライナと同様、ロシア・ソ連にずっと蹂躙され続けてきました。第二次世界対戦のときにはソ連に好き勝手に攻められ、戦後も屈辱的な形でソ連・ロシアに気を使いながら「フィンランド化」してきました。

そういった歴史的な経緯をもろもろ踏まえて、フィンランドは、ロシアのウクライナ侵攻によって前提条件が崩れた中立政策をやめて、NATOへの加盟を決断したのです。