変態料理人・ナチュラルボーン食いしん坊を自称するのは、南インド料理専門店「エリックサウス」の総料理長である稲田俊輔だ。飲食店プロデューサーとして活躍しながら、料理人としてもレシピ本を精力的に出版している。
さらに驚くべきは、食に関わるエッセイや小説まで手掛け、作家としての道も歩んでいるところだろう。2023年9月19日には、飲食店に足を運ぶお客さんの人間模様を描いた『お客さん物語-飲食店の舞台裏と料理人の本音-』(新潮新書)を世に送り出している。まさに「好きなことを仕事に」を体現している稲田氏に、なぜそこまで好きを追求できるのかを語ってもらった。
食事に対して“真剣”だった稲田家
――24時間365日食べ物について考えている、と豪語されている稲田さん。そもそも「食」にはいつ頃から興味を持ったのでしょうか?
稲田 物心ついた頃から食には興味があったのですが、自分の周りの環境がそうさせていたところがあります。親をはじめとした親族一同が、食に対しての興味が妙に強くて、グルメとはまた少し違う、食事に対して“真剣”だったんですよね。
高校卒業とともに家を出て、社会に出ていくにしたがって、だんだんと自分が特殊だったことに気がつきました(笑)。どちらかというと、普通の人はこんなに食に興味を持たないことがわかった、という表現が正しいですね。
――なるほど、ナチュラルボーン食いしん坊という言葉は本当だったんですね(笑)。そこから料理人としてお店を開こうと思ったキッカケはなんだったのですか?
稲田 好きなことを仕事にしなければ、社会でやっていけないと感じていたからです。子どもの頃から、周りで働く大人たちをみて「あんなふうに自分は生きられない、働くのが怖い」と思っておりまして。そこで「好きなことであれば、なんとか仕事としてやっていけるのでは?」と考えて、本を出す・CDを出す・お店を出すの3つまで絞りました。
そこから、仕事にすることを考えたときに「店を出す」ぐらいしか現実味がないなと思ったんです。そんな逃避的かつ打算的な選択肢で、働きたくないをこじらせながら、料理人としてお店を開くことを決意しました。
――そういう考えがあったとは思いもよらなかったです。稲田さんが料理人になると聞いて、周りからどのような反応がありましたか?
稲田 僕は国立の経済学部だったので、周りはみんな当たり前のように大きい銀行へ就職するんですよね。なので、食品関係に進むということだけで「バカだなあ……」と言われる環境でした。実際に、初任給も周りと比べて半分以下でしたね。でも、自分は好きな仕事しかできないという思いで、この道に決めました。
ほかの飲食店プロデューサーとは少し違うかも
――稲田さんといえば、本場の南インド料理を楽しめる「エリックサウス」のプロデュースで知られています。開店当時はマイナーだったであろう、南インド料理との出会いについて教えてください。
稲田 知り合いから紹介されたインドカレーのお店から、コンサルティングの依頼を受けたのがキッカケです。当時はコンサルティングの経験もなく、抱えている複数の飲食店を潰さないよう回していくのが精一杯な状態でした。それでも、忙しさよりもやってみたい気持ちが勝ったので、引き受けることを決めたんです。
結局、コンサルティングはうまくいきませんでしたが、経営者の方から「オーナーとして店を引き継いでほしい」と相談を受けました。当時の僕は和食をメインとしていて、インドカレーなんて仕事として作ったことがなかったので、初めは「無理です!」と断ったんです。
でも「好きなようにやっていい」という言葉を聞いて、キラーンとしまして(笑)。素人なりに始めてみたら、これが非常におもしろくて、いわゆるドハマリ状態になってしまいました。それが、南インド料理との出会いですね。
――そもそも、稲田さんの肩書きのひとつである飲食店プロデューサーとは、どのようなことをする職業なのでしょうか?
稲田 正直、僕もよくわかっていなくて。この肩書きに関しては、我ながらうさん臭いなと思っています(笑)。
――(笑)。
稲田 飲食店プロデューサーの仕事を簡単に言うと、お店をチームで計画的に立ち上げることです。たとえば、コンセプト作りから、立地選びなどのマーケティングも業務のひとつです。ほかにも、内装のデザインやレシピ開発、サービス面の方向性の決定なども、王道の飲食店プロデューサーの仕事といえますね。ただ、僕のしていることは、ちょっとそういう意味では違っているかもしれません。
――というのは?
稲田 僕の場合は、原則、自分で何もかもやらないと気がすまないところがありまして。とくに「お店のレシピ・メニュー作り」と「お客さまへの提供の仕方」については、絶対に手放したくありません。なので、メニュー開発を専門職の人に依頼してしまうと、自分がプロデュースする意味がない、とまで思っていますね。ただ、お店に利益を出さなくては好きなことはできないので、経営的なところは仕方なくやっています(笑)。
――仕方なく…(笑)。
稲田 経済学部を出ているのに…(笑)。今はありがたいことに、経営的な部分はほかのメンバーに任せて、なるべく自分は料理とメニュー作りに没頭できる立ち回りをしています。
――エリックサウスは、お店ごとにコンセプトが分かれているのも魅力だなと思っています。
稲田 ありがとうございます。こう言うと身も蓋もありませんが、お店ごとにコンセプトが分かれているのは、やりたいことをやった結果なんですよね。たとえば、一軒のお店を経営していくなかでも、新しいアイデアってどんどん出てくるんですよ。でも、ある程度できあがったお店だと、その枠のなかでしかできないことがあります。
そうすると、やりたいけどやれないことが溜まっていくんですよね。なので、新店舗を出すとなったときには「チャンス!」とばかりに、やりたいことを盛り込みます。店舗ごとに個性を出してどうこうみたいなのは、じつは後付けの理由で、お店を出すたびに新しい挑戦を繰り返しただけなんです。
このやりたいって気持ちは、競合店を見たときにも溜まっていきます。そもそもが好きなジャンルなので、競合店でも完全にファン目線で食べに行くのですが、ふと冷静になると悔しくなるんですよね。うちの店にはできないサービスを展開していることに気づいて「俺もやりてえ……」と。そうやってチャレンジしたいことが増えていくたびに、新しい店での実現を続けています。