2023年7月8日、東京・高円寺で『全日本アマチュア芸人No.1決定戦2023』が開催される。この大会はその名の通り、アマチュアなら誰でもエントリー可能な“アマチュア芸人の祭典”だ。開催3回目を飾る今年は、過去最多となる361組がエントリー、MCにモグライダーを迎えた決勝では、ファイナリスト12組がアマチュア芸人の頂点を争う。
このイベントを主催するのは、2017年から社会人限定お笑いライブ『わらリーマン』を立ち上げ、2020年に一般社団法人社会人お笑い協会を設立し、「趣味としてのお笑いを当たり前に」を理念に掲げて活動する奥山慶久氏。聞けば、自身もプロ芸人としての活動経験があり、現在は「オックン【大食い】」として登録者数17万人超えのYouTuberとしても活動している。まさに「好きなことを仕事」にしている人物だ。
「お笑いって社会人との相性がいい」と断言する奥山氏に、そう思うに至った経緯と真意についてニュースクランチのインタビューで語ってもらった。
キーエンス時代に『わらリーマン』を立ち上げた
――まずは、これまでの奥山さんの足跡をご説明してもらえますか?
奥山慶久(以下、奥山) 僕が“お笑い芸人になりたい”と思ったのは、中学2年生の文化祭がきっかけでした。『エンタの神様』(日本テレビ系)世代なので、毎週録画を見ながら、波田陽区さんたちのネタを暗記するまでコピーしたり。その延長線で、友人と「漫才やろうよ」という話になって、ネタを書いて文化祭で披露したら、文字通り教室が揺れるくらいの大爆笑が起こって。「こんなに気持ちいいことはない!」と感じて、お笑いを仕事にしようと決意しました。
その後、明治大学に入学して、お笑いサークルに所属しながら「学生時代のうちにプロになる」ことを目標に掲げて活動し、運良くワタナベエンターテインメントの養成所主催の大会で勝ち残り、大学2年生で養成所に入り、3年生でプロデビューしました。
それから、1年半ほどプロ芸人をやってから当時のコンビを解散し、その後、就活浪人をしてから企業に就職しました。『わらリーマン』を立ち上げたのは、社会人1年目のことですね。
――新卒から二足のわらじを履いていたんですね。ちなみに、どういったお仕事をされていたんですか?
奥山 キーエンスの営業マンをやっていました。
――「給料が一番高い日本企業」とも言われている一流企業ですよね? めちゃくちゃすごいじゃないですか。
奥山 「〇〇と主張をしている人を2分間で説得してみてください」みたいな、少し変わった面接もあったんですけど、芸人として活動していただけあって喋りは立ったので、お笑いの経験が活きて就職することができました。
社会人でも「お笑いをできる場所」を作りたかった
――営業マンとしても、お笑いの経験が役に立った場面はありましたか?
奥山 すごくありましたね。社会人お笑いライブをやりながら僕自身が実感することなんですけど、社会人のスキルとお笑いのテクニックって、かなり互換性が高いんですよ。
例えば、ネタ作りで使う頭の筋肉って、社会人として企画力や戦略を立てる際に使うときに近い。ネタ合わせも、チームメンバーやクライアントとコンセンサスをとる作業に似ていたり。あとは、なにより舞台に立って芸を披露する度胸を培えば、プレゼンのときも緊張しないメンタルになるんです。
だから僕自身、芸人としてスベったときにネタを改善する作業が、営業マンとしても企画の見直しをするときに役立ちました。
――言われてみれば、そうですね。逆に、企画書やプレゼン資料の作成が得意という人は、ネタ作りも向いていたりするんでしょうか。
奥山 絶対に向いてます。“できる社会人”って、意図通りに相手を動かす能力に長けていると思うんですけど、お笑いも、要は演者側のプランによって、ニュートラルな状態にいる観客を笑いへ転がすという芸ですから。
一方で、社会人としてくすぶっている人が、芸人として舞台上で放つエネルギーも半端じゃないんですよ。実際、人気芸人さんたちのなかにも、社会人としてやっていたらどうなっていたんだろう……という方もたくさんいらっしゃるわけで。スタンダードな物差しを持っていない人だからこそ、普通では思いつかないようなネタを生むようなこともある。それがお笑いの面白いところです。
――ということは、どっちに転んでも面白いわけですね! 奥山さんの経歴に戻すと、2017年に就職と同時に「わらリーマン」の活動をスタートされた。順風満帆な社会人生活を送っていただけに、“お笑いの世界とは一線を引こう”という発想に至っても不思議じゃなかったと思うのですが。
奥山 そこに、僕が「わらリーマン」を始めた理由があるんです。遡ると、明治大学のお笑いサークルにいたとき、自分の同期たちが「プロ芸人になるか、社会人になるか」で、すごく悩んでいる姿を間近で見ていたんです。就活をしながら「社会人になったら、お笑いできなくなっちゃうのか……」と悲しんでいる人もたくさんいました。
そういう光景を見ながら、心のどこかに違和感があったんです。だって、これが例えば野球サークルだったりテニスサークルだったら、こんなに悩むことってないと思うんですよ。なぜなら、それらは社会人になっても楽しめる趣味の場があるから。でも、お笑いって社会人が趣味として楽しめるような環境がなかったんですよね。
なので、僕がその機会を作ればいいと思ったんですよ。なによりも、僕自身が中学2年生から“こんなに好きだと思い続けているものを、社会人になったからといって手放したくない”という気持ちも強くて。