子ども向けの教育番組『アイラブみー』(NHK Eテレ)から『山田孝之の東京都北区赤羽』(テレビ東京)など深夜番組まで、幅広いジャンルを担当する放送作家・竹村武司。山田孝之をして“僕の頭脳”と称され、現在も数多くの番組を手掛けている。

「自分で番組を作りたい」という幼少期からの夢を叶えた、まさに“好きを仕事にした”竹村氏だが、放送作家になった経緯については「若気の至りだった」と振り返る。そして現在は「学校の授業をおもしろくしたい」という新たな目標を持つを竹村氏が、その一歩として執筆を担当した絵本『アイラブみー じぶんをたいせつにするえほん』(新潮社)についても話を聞いた。

▲Fun Work ~好きなことを仕事に~ <放送作家・竹村武司>

時には後先考えず行動することも大事

――竹村さんは放送作家になる前は、広告代理店で働いていたそうですが、どのような経緯で放送作家になったんですか。

竹村 昔からとにかくテレビが好きだったので、子どもの頃から“自分で番組を作りたい”みたいな思いはずっとありました。放送作家の学校などはありますが、就職活動をして“なれる仕事”でもないし、選ばれた人にしかできない職業だと思っていたので、それで結局、放送作家は諦めて広告代理店に就職したんです。

その会社で仕事をしているときに、もともと所ジョージさんのマネージャーを長いことやっていた雑誌編集者の方に出会ったんです。その人に「放送作家になりたかったんですよ」みたいな話をしたら、その当時『ザ!鉄腕!DASH!!』のチーフ作家をされていた方を紹介してもらいました。

――具体的には、どのような形で放送作家としての仕事をスタートさせたんですか?

竹村 最初は「来週までに企画を30個考えてきて!」って言われて、企画の千本ノックみたいなことをやってました。企画を考えて持っていって、一つひとつ添削してもらって、また次の週に30個考えてくる、みたいな。1カ月くらいやっていたら「一回、会議に来なよ」と言ってもらえました。だけど、まだサラリーマンを続けていたので、会社には嘘をついて週に1回、『ザ!鉄腕!DASH!!』の会議に出るようになりました。

今でも忘れないです、毎週木曜15時に麴町の日本テレビ。自分だけスーツなんで、「誰?」みたいになってましたね(笑)。でも、半年くらい会議に出てたら、ある日、その方とプロデューサーに呼ばれて「放送作家として番組に入れてあげるよ」と言われて。その場で、すぐ会社の上司に「お話があります」って電話して、次の日の朝に会社を辞めました。

――会社を辞めたのは何歳でしたか?

竹村 社会人3年目、25歳ですね。いま思えば若気の至りだったんですけど、“後先考えないことで開ける人生もある”と思います。

サラリーマンを経験してよかったこと

――そもそも、なぜ竹村さんはいろいろあるテレビの仕事なかで、放送作家になりたかったんですか。

竹村 目立ちたがり屋だけど目立ちたくない、っていう捻くれた性格の影響ですかね。軍師が好きなんですよ。戦国時代だったら、竹中半兵衛とか黒田官兵衛とか。関わってはいたいけど、表には立ちたくないし、何より責任を取りたくない(笑)。だから、僕はチーフ作家とか全然なりたくないんですね。偉くなったら責任を取らなきゃいけないんで(笑)。いつまでも外野から野次っていたいです。

――なるほど(笑)。いきなり現場からスタートして、イメージしていた職業とのギャップはなかったんですか。

竹村 企画会議って、大人数で意見を交換し合う場なのかなと思いきや、偉い人たちが数人で話してるだけで、若いスタッフはほとんど発言していない。企画会議って、テーマがあって、それについて何かおもしろいことを考える大喜利みたいな場なので、やっぱり百戦錬磨のすごい人たちが意見交換をしてると、自分が意見を言うのはおこがましいと思っちゃうし、何よりスベって“こいつ面白くないな”と思われるのがめっちゃ怖い。

会議のリモート化が進んで、ますますその傾向が強くなって、こういう空気はよくないな……と感じてますけど、会議で喋るだけが放送作家でもないので、喋りにくい会議はネタ出しを頑張ってました。

――それでも放送作家になりたい意思は変わらなかったですか?

竹村 はい、会議に出れば出るほど、“こういうのがやりたかったんだよ!”と思ってましたね。世の中の役に立たないようなことを一生懸命考える、そういうのがやりたかったんで、これで生きられたら最高だなと感じました。

――好きなことを仕事にするために、大事なことはなんでしょう。

竹村 「こうなりたいんです」って、いろんな人に自分の夢をなるべく大きな声で伝えるのは大事だと思いますね。自分の力じゃどうにもできないけど、いろんな人に伝えていると誰かが引き上げてくれるんですよ。いつか誰かが扉の前までは連れて行ってくれるので、恥ずかしがらず伝えることが大事だと思います。自分も、そうやって放送作家になれました。

――夢を言葉にして誰かに伝えるって、なかなかできないことですもんね。逆に、サラリーマンを経験していてよかったと思ったことはありますか。

竹村 放送作家としていろいろ仕事をもらえるようになったとき、最初は才能があったから仕事がもらえてるんだって自惚れてたんですけど。どうやら僕は社会人としてちゃんとしていたらしくて(笑)。

時間通りに行くとか、締め切りを守るとか、当たり前だと思ってたんですけど、テレビ業界ではそれができていることが珍しかった(笑)。結局、放送作家になりたくて集まってる人たちって、才能はそんなに変わらないと思うんです。大事なのは、人としてちゃんとしていること。だから、サラリーマンを経験していてよかったなと思いました。でも、ちゃんとしてない人が活躍できる世界でもあってほしいし、そこは複雑な気持ちですね。

――竹村さん自身は、人との出会いで放送作家としての人生をスタートさせましたが、もし、竹村さんのもとに放送作家になりたい人から連絡が来たら、どんなアドバイスをしますか。

竹村 実際にもありますよ。放送作家って100人いたら、なり方は100通りあるんですけど、僕自身はいきなり現場だったし、それで学ぶことが多かったので、そういう連絡が来たら、とりあえず企画会議に呼んじゃいます。才能より人脈なんで、プロデューサーとかディレクターがいる場に呼んで、あとは「自分でがんばれよ」って感じです。僕が入口まで連れていってもらったように、僕もなるべく入口まで連れていってあげてます。

▲本人はサラッと言ってのけたが後進作家の門戸を開くのは素晴らしい